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瑠璃色の雫 [演劇]

私にとってこの作品をもしも一言で言い表すのであれば、それは「生命の胎動」です。なんだかすぐに言葉に表すのがもったいないくらいの印象を受けました。生きるとはどういうことなのでしょうね。おそらくそれは何度も何度も考えて、気が付いたとしても生き続ける限りまた考えて、答えはないのかもしれません。だからこそ、生きる全ての人に共通の問いかけなんだと思います。正解とか失敗とか、そんなんじゃなくて。


人はいつでも意思と虚無の間に生きている。時に虚無の暗さに飲み込まれ光を失い、意思の強さに影を失う。希望と絶望の真剣なせめぎ合い・・・

こういう風に考えられるのも舞台を構成していた人たち全てがその想いを真剣に共有していたからと想像します。パフォーマンスが高いのは当たり前、でもその先は?私たちは一体何を表現するのか・・・というところを一人一人が当事者として心をこの劇に擦り寄せていっている。演者たちの表情や瞳、そしてパフォーマンスに溢れていました。

素人目ですが、まずダンスを観てここまで心を揺さぶられた経験はほとんどありません。パッション・・・彼女らの場合には蒼く静かに揺らぐ炎、「瑠璃色の魂」。今思い返してみて感じました。肉体芸術、ここまで表現できるものだとは知らず、ただただ圧倒された。

役者については言わずもがな、自分が観客であることを忘れてしまうほどリアルに存在していて、最後の最後までそれぞれが自分の背景を背負って演じ抜いたのではないでしょうか。どれひとつの役をとっても安易簡単なものがなく、全員が心の闇、葛藤、光、希望を抱き、ごちゃごちゃになりながらも前に進んでいく。

そして映像や照明がこのストーリーを現実のものにしていた。様々なこだわりを見せていましたが、特に色にこだわっていた印象。もしこれらがなかったらば、この世界観は半減して表現しきれなかった。

衣装やメイクに関しても「瑠璃色の雫」という表情を持っていた。

最後に主演の生演奏と生歌、想いの強さが凝縮されていました。音楽の原点がそこにひとつあると思います。この世界にはなぜ音楽が存在するのでしょうか。

悲しみや苦しみが一切消えたら皆さんはどう感じますか。私自身最近悲しいことがあって、向き合うとは決めたものの、やはり悲しい。でも、この劇を見て想いを巡らせ、苦しみも悲しみも、喜びも楽しさも、少しだったら全てを抱きしめることが出来るようになった気がしています。「生命の胎動」。一歩進めたのかな。ありがとう。みなさんが瑠璃色の原石をより多くの方へと届けることが出来ることをお祈りしています。

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