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山田尚子作品を語るにあたっての心境整理 [京都アニメーション/京マスオフ]

今度山田尚子作品を語る配信にお声をかけてもらった。
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https://twitter.com/tonarinododoria/status/1789996593661272137

このブログでは、しばらくこの配信に向けて思考を整理していったり、またこれをきっかけに冬コミへ本を書くかもしれないことを含めて、色々と言語化していくことを目的に徒然なるままに書き綴っていく。


▼現在の心境
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https://twitter.com/real_tenshi/status/1026381724878430209
この本を書いたのは2018年の夏コミで、初めての同人誌作成とコミケ出典を見据えて相方のハヤブサさんと協働作業で必死になって作った。

京都アニメーションにハマったのは、オタク復帰をなんとなくした2013年頃か。
2010年頃になんとなくハルヒを観て、良いアニメもあるじゃん的な高飛車な感じから、ハルヒの当時の原作全巻を買い揃えて読み、消失を観て、そこから京都アニメーションという制作会社が気になったようだった。

それはそれとしつつ、現在の心境は、山田尚子作品について熱く語る人たちの声を聞いていて、あぁ自分はそこに気持ち的な意味で入っていけないなぁというところだった。

お声をいただいた配信について、「推し」について語るというものだったが、振り返ってみて自分にとって山田尚子(以下敬称略)は、「推しではない」ということが改めて思っているところだ。


そんな自分が山田尚子を推していた時期も1年くらいはあった。
それはオタク復帰して京アニにハマってから、明らかにそれまでのアニメとは一線を画すアニメ演出と出逢った頃だ。

初めて山田を意識したのは、、、うん、覚えてないけれど、おそらくけいおん!は後から観た気がするので、ハルヒの溜息Ⅰや中二恋あたりかもしれない。

その頃はやはり山田演出を観ること自体が新鮮で、「映像表現」に「アニメ」がどこまでいけるのかをワクワクしていたのだと思う。

何度も何度も繰り返しBDを観ていた気がする。


そんな中で、次第に高雄統子演出に傾倒していくこととなった。
高雄統子(以下敬称略)の作品を観ていくと、個人的には吸い込まれるように集中力を持っていかれ、最後には「高雄カタルシス」(勝手に命名)で「人間ドラマの充実度」に圧倒される。

よく泣きの高雄回と言われるが、それも単なる映像表現としてだけではなく、1本の作品(演出なら1話)としての構成力が圧倒的だった。

「映像表現」ではなく、「意図された演出」をビンビンに感じていた気がする。

それは得てして時に息苦しいものでもあり、観るものの体力と集中力を持っていかれる。

しかし、それは「本物を追求していった結果」でもあり、「何を描き出したいのか」をグロテスクなまでに表現した結果でもあった。


なんとなくだが、山田と高雄を比較するなら、作品志向か本物志向かにわけられるのではないかと思う。


好き嫌いは好みの問題なので、言及するつもりはないが、今回改めて気持ちを整理するうえで、私の好きは本物志向の高雄演出なんだと再確認をした。

両者ともやりすぎな部分もあったりするが、それは時を経るに従って純化整理されていくだろう。


その「時」を考えると、山田尚子には未来があり、高雄統子に未来があるのかどうかが私の中の大きな不安であることが、今後のモチベーションに繋がってくるだろうと思う。

名義を変えて活動しているのか、どうかも今はわからない。

そんな自分の出来ることして、仮に高雄のアニメ的な未来がなかったのだとしても、高雄が「選ばれなかった人」を救ってきた、存在証明をしてきたキャラクターたちのように、おこがましくも一人のファンとして高雄統子の存在証明をしたいという気持ちがあることを確認した。

今回の配信については、おそらく高雄視点からみた山田について話していくことになりそうであるが、冬コミなどに相方のハヤブサさんと改めて本が書けたらよいなと思う。
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