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とあるマルザンナのココロの旅 ポーランド編⑧ [アルトネリコ・サージュコンチェルト]

8月15日(木)

朝5:45。自然と穏やかに目が覚めた。とても穏やかな気持ちで目が覚めた。ふわっと身体を起こし、窓の外を眺める。白い朝霧に覆われた紛れもない修道院の庭がそこにあった。
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静かでひそやかだ。
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人の気配もなく、仙人がいるのだとしたらこういうところで霞を食べて生きているのかもしれない、と微睡んではいるが徐々に覚醒していく意識の中でそんなことを思う。
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自然と外へと歩み出た。
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真夏の季節ではあるがこの季節のEUの朝は寒いこともある。
高原地帯ではないものの眼科を流れる川によって増長された一面に立ち込める朝霧が肌寒さを演出する。
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体感12-3℃といったところか。
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起きゆく身体へこの白霧はとても心地よく、誰もいない霧に包まれた庭で深呼吸をするとゆっくりと覚醒をすることができた。こんなにも気持ちの良いことがこの世にあるのだろうか、と思うほどに。
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五感も研ぎ澄まされ、身体の中の何かが折り目正しくなっていく感覚があった。最近どこかで似た感覚を味わったことがある、と思い返してみると、今年のGWに、やはりトライナリーのガブリエラ絡みで出かけた九州熊本は玉名にある、誕生寺奥の院での経験だった。本殿は玉名駅から近いところにあったが、奥の院はタクシーで20分ほど走らせた山の奥にある。
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そこも朝霧の立ち込めるほど早い時間ではなかったが、午前9時院内は凛とした静謐さを保っており、俗っぽく染まり切っている自分のココロが玉砂利の上を歩くたびに、一歩一歩浄化されていく感覚があった。そして奥の院では正人の肩掛けを纏い五重塔で一つ一つの回廊を合唱しながら登って行った時、これもまた俗世から離れていく体験をした。そう、この時の感覚と同じような感じだ。

さて、回想はともかく礼拝堂に入ると一人の僧が祈りを捧げている。
一糸乱れないその姿勢は呼吸もしていないのではないかと思うくらいに静かな祈りは、弓道や武道でゾーンに入る感覚、いわば明鏡止水の境地であった。この時どんな祈りを捧げていたのかはわからない。ペラペラの紙スリッパで聖堂内をペタペタ歩き回ることに気恥ずかしさを感じ、静かにその場を後にした。
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(写真は夜に撮ったもの)

6:30になると朝のミサが始まり、地域の人たち車で集まってきた。静かな聖堂で静かに行われるミサ。一番後ろから静かにその様子を見守った。遅れてきた何人かの人は一緒にその場でミサに参加していた。


ゆっくりと朝ごはんを食べたあと、昨日真夜中にかけ登ってきた坂道を穏やかな気持ちで緩やかに降りていく。朝の礼拝に向かう人たちとすれ違いながら。
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この道が走り抜けたところだったのか。
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8:47 オンタイムでバスは来た。
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この時バス停にクラクフのルートマップが貼ってあったのが助かった。

112番に乗れば市内に出られるということはわかるのだが、市内のどのあたりに出て、そこからヴァヴェル城へどうやっていけば良いのか、地球の歩き方だけでは全く分からなかったからだ。

バスに乗る直前に写真でそのマップを保存し、車中で確認する。

どうやら目的地のすぐそばまでこのバスで行くらしい。

112番はそこからまた郊外へと?行くらしく、中央駅からでは112番バスへのアクセスがとても難しいものであった。

確かに地球の歩き方には「市内からバスで30分」と書いてあり、ウソは言っていなかったが、インフォメーションで聞いても分からず、駅のルートマップはトラムのものしかなかったのだから、昨夜はいずれにしても冒険せざるを得なかったのか。

まあ一言「ヴァヴェル城西にあるバス停」とか、「バス停へは市街地に出なければならない」など書いてくれれば良かったのに...と日本人らしく?サービスへのクレームを心の中でつけながらバスに揺られた。




ヴァヴェル城近くのバス停に到着したのは9:20
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川の向かいに見える城は優美であった。
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時間も9:45のツアー受付だったのでちょうど良い時間だった。
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赤い城壁で覆われた城はワルシャワの旧王宮で見た屈強な城壁、バルバカンを想起させられた。
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RPGゲームに出てくる赤茶色の城そのものだ。
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城門への斜面を少しぎらつき始めた日差しを浴びながら一歩一歩上がっていく。
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日本の多くの城もとても立派なものだが、こうしていかにもRPGゲームな王城への道を進んでいくのは、ゲームファンにとってはなかなかにワクワクするものだった。

門前にはもちろん衛兵やモンスター、旅商人などはいなかったが、城門を潜るとそこには美しく広がった庭園と大聖堂、ルネサンス期の様式美あふれる数々の建物がそこにあった。
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informationやチケットカウンターには、シーズンということもあり長蛇の列があった。
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少し手間はかかったが、事前に予約をしておいて良かったと胸を撫でおろし、reservedカウンターへ行き手続きを済ませる。


ヴァヴェル城は見学をするものごとに細かくエントランスが設定されており、それぞれにパスが必要である。

事前の予約で8つあるうちの「砂の塔」を除く全てに予約したところ、カウンターで1枚のマップと両手開きサイズの通行表をもらった。
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個人申し込みではあるが、ツアーというのは、実は入場制限などの理由から手書きの数字の順番に行ってください、との指示が書かれており、それにしたがって見学していくものである。

特に時間の記載があるものはガイドがつくので、その時間に間違いなく行ってくださいとのことだった。

前日の観光もそうであったように、EUの観光地ではメジャーな観光スタイルの印象だ。



さて、素直に観光すれば良いのだが、色々面倒な性格ということもあり、前日に諦めたアウシュビッツ見学の可能性についても考えてみた。


10時に最初の場所の見学が始まる。

カウンターで聞いたところ、途中抜けはできるが払い戻しはできないとのこと。(それはそうだ)


このヴァヴェル城に来た目的はEUで一番と言われるジグムントの鐘
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ただし、その鐘のあるカテドラル(大聖堂)は10:30からであり、さらには城とはチケットが異なるから別のチケットオフィスで列にならっで買わなければならないらしい。

外からの写真はガブリエラとともに写真を撮ることはできたので、幸い目的は早くも達成できた。
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(何を優先させるべきか。ポーランドにきてアウシュビッツに行かないのはどうなのか)

もう一つの懸念材料は、夕方16時台にヴロツワフへの移動バスを予約していることだ。
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今回のヴァヴェル城ツアーについて金額面もそこまで高くはなかったので流してしまっても良いが、問題は時間。

仮に10:30に城を出て11時台のバスでアウシュビッツ到着は13時頃。そこから列に並んで14:30頃にチケットが買えたとして、おそらく入れるのは16時過ぎ。当日券はあるにはあるとのことだった。

そこからツアーが3時間半と考えるとクラクフ駅周辺に戻ってこられるのは21時は過ぎる。

そこからヴロツワフへの移動は電車があるものの終電レベルであり、到着は24時頃。予約しているホテルへのチェックインも難しいかもしれない。

最悪ホテルもジャーして、クラクフでもう1泊し、翌朝にヴロツワフへ向かうのもアリかもしれない。。。



とまあ色々思考の末、前日にある意味の大冒険をしすぎて精神的な疲れもあったのでアウシュビッツ案は捨ててシンプルにヴァヴェル城やクラクフの街を楽しむこととした。(味のしないパンをベンチでかじりながら)
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ちなみに、前日に苦労した1日でヴィエリチカ岩塩坑とアウシュビッツを巡ることは可能には可能であるが、余裕を持って二日に分けるか、事前に両方を巡るツアー予約しておくことが賢明だと思います。




はてさて、次またポーランドに来る理由ができた!とポジティブに考えることとし、城のツアーを全てめぐり、大聖堂とジグムントの鐘も別途チケットを購入し、鐘の目の前まで進みその大きさを体感した。


鐘の写真は禁止になっていたので撮影していないが、熊本県の蓮華院の鐘と比べると印象的には熊本に軍配が上がりそうであるが、密度や設計次第では良い勝負であるように感じた。
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ヴァヴァル城の写真はそれなりに撮影しているが、別の記事にポーランドの写真はまたまとめたいと思っている。


夕方の高速バスまでクラクフ市内をふらふらと歩き回った。
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想像はしていたけれど、シーズンのEUは観光客だらけであった。
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ガブちゃん好きそうな場所
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クラクフはポーランドの旧王都にもあたり、またユダヤ人たちのディアスポラ(移動の変遷的な意味合い)においても重要な拠点となっているなど見応えのある都市だ。

ワルシャワやクラクフは特に歴史を感じやすい街なのでぜひ訪れてみてほしい。



さて、時間にもなったので高速バスでヴロツワフへ。
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flixバスは最近EUで幅をきかせているらしいドイツの会社らしい。
ポーランドの主要都市も結んでいる格安高速バスで、確か8zl...たった230円くらいで3時間高速道路を含めて移動できた。意味がわからないレベルだ。

車体は二階建てで自由席。座席の幅もEU基準だからか狭いわけではなく、wifiも完備されていてそれなりに快適だ。

前日に乗ったようなプライベートバスのかっ飛ばし運転に比べて、当たり前かもしれないが、静かに丁寧な運転だった。

次にEUへ来ることがあれば再度移動手段として検討したい。

この日はバスの到着が遅れてきたのは良いが、待っていた乗り場の電光掲示板が乗車時間になったら突然消えて、バスも来なくてハラハラしたのはもはやご愛嬌。



ポーランドは鉄道も含めて往々にして交通網が安く整備されているのが嬉しい。

ヨーロッパ旅は鉄道も良いが、安く旅をしたいのであれば国内外を結ぶ高速バスもオススメです。




ヴロツワフへ到着
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次の目的地は陶器で有名な町ボレスワヴィエツだが、そこまで移動することもできなくはなかったが宿がほとんどないことや、これ以上の移動はまた夜遅くなってしまうこと、町自体も大きくはないので日帰りでも充分という情報もあったことからこのヴロツワフに宿泊することにした。

結論から言えば正解だった。
ボレスワヴィエツは東京都内の人がちょっと遊びに川越や飯能に来るようなイメージ(個人の勝手な)で、移動もローカル線で1時間半ほど。市内も半日あれば楽しめるところだった。


さて、20時前に駅に到着し、予約しているホテルの位置の目処は立ったので道中のどこかで食事をすることにしようと夜の帳が落ち始めた市内を散策しながらお店を探すことにした。

EUの都市に来たらとりあえず中央広場へ、が割と鉄則感があるので向かうことにした。
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ここまできてまだしていないこと何かあるかな、と考えてみると、そういえば過去にガイドブックに載っているお店で食事をしたことがなかったなと気がつき、せっかくなので地球の歩き方に載っているお店を探してみることにした。

KURNA CHATAという店だったが、中央広場からほどないところにあったのでなんなく見つけることができた。
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ピエロギやバルシチはもう売り切れているとのことであったので、ポークカツレツを頼んでみた。
BIGと書いてあったので、どんなものかと思ったらB5ノートサイズだったので、さすがに驚いた。
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味は・・・うん、見た目のままだ。揚げた豚肉!塩胡椒!正直ガイドブックで取り上げるレベルのものではないが、まあEUなので旅行気分を味わうというスパイスを加えて飽き飽きしながら完食した。

ウェイトレスから味はどうだったかと聞かれて一瞬言葉に詰まったが、OKと無難な返事をしてしまった。実際にまずいわけではないので、他に言いようもなかった。

ポーランド料理、基本的にまずくはないが特に美味しいわけでもないというのがこの旅の食事の感想だ。バルシチは美味しかったけれど売り切れるお店も多く、1回しか食べることができなかった。ザワークラフトもドイツで食べたのはまあまあだったけど、ポーランドで食べたものは偶然かもしれないけれど基本的にかなりしょっぱかった。

道中で観た映画の中には、まずくて食えない、的なシーンもあったが、まあプラツキ(じゃがいもと玉ねぎをすりおろして焼いただけ?)を調味料も加えずに適当に作ったものじゃそうなるよなと。



食事を終えて21:45。
レシートを乗せた器がボレスワヴィエツの町が近いことを感じさせてくれた。
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ホテルのチェックインも22:00にはできるなと大量のポークで満たされた胃袋を引っさげて夜の街を地図に沿って歩き始めた。

夜風が気持ちいい。
川沿いでウェーイピーポーたちがウェイウェーイしているのを横目に歩きながら、すっかり暗くなった公園を横切る。
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そういえば、ポーランドって街灯が少ない。

めっちゃ暗い。

でもそんなこともお構いないしに開かれた公園で屋台(ビールなど売ってる)の周りや思い思いのところに多くの人やカップルが芝生に座ったり、寝そべったりしながら酒と話に酔っている。

スマホの活用もアプリを使うというよりも、みんな電話で誰かと他愛ない話をしている感じだ。

みんな誰かと繋がっていたい...そういう感じだ。

ココロとはなんとじゃまなものなんだろう。
肉体とはなんとじゃまなものなんだろう。

アルトネリコ2のサブリメイション思想が脳裏によぎった。




公園内ではスクリーンが持ち出されていて映画の上映会も行われいた。個人のものっぽい。



さて、公園を通過したらホテルだ。

目の前にWender EDUという目印が出てくるだろう。。。




。。。





出てこなかった。



平和に終われる旅の1日は果たしてあるのだろうか。



やれやれと自身の不甲斐なさにため息をつきつつ、こういう時は闇雲に歩き回ると状況は悪化することは分かっていたので5分ほど歩いたところで自分の位置とホテルの地図を確かめた。

wifiはなかったので街並みとこれまで歩いてきた道のりのみがヒントだ。

川の向こう側で走るトラムの音、通りすがった別のホテル、川沿いにある公園とその川にかかる橋の本数、ちょっと先に見える教会...

これらから総合的に考えると...

ということで、途中から一本外れた道を歩いていることに気がついた。

境界まで行けば地図の場所もはっきりするので、そこを目指して着いたら最終確認をする。





無事に地図に書かれている教会の場所に辿り着き、最終確認をしてホテルのある場所へと到着できた。


が、

そこにホテルはない。


というより、別のホテルがあった。



まさかそんな地図自体が間違っていたというのか!?

夜の22:30に少し取り乱しながら周囲をあらためて探してみても見当たらない。


途方に暮れて、ひとまずそこにあったホテルの受付で聞いてみることにした。

近所ならわかるだろうと思った。

「わからないけど、ちょっと待ってて」とフロントの人は言うと、その場で自分のスマホで調べてくれた。

神はいた。。。

と、旅で人の優しさに触れると自分自身も優しくあろう、といつも思う。


やはり、近くにはあったようで、先程探し回っていた場所だった。

真っ暗で何一つ空いているホテルのようなものは見当たらなかったが、そこにある、と言われたのでお礼を伝えもと来た道を引き返した。


街灯が少なく真っ暗で誰も通らないような路地(狭くはない)をゆっくり目を凝らしながら探してみると、アパートの入り口のようなところに扉は閉まっていたが、Wender EDUと書いてあった!

まさか閉まっては・・・いなかった。

本当に真っ暗だったので全然気がつくことができなかった。

この旅何十回と撫でおろした胸を再度撫でおろし、チェックインに進んだ。

部屋もいい感じだ。
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少しゆっくりしようと荷物を下ろした。


最後は色々あったけれど、まあ比較的無事に過ごせた1日だった。






と思っていた。






リュックを開けた。

・・・

何か違和感がある。


湿っている。

雨は降っていなかった。

なぜだ。

落ち着こうとしていた思考がまるで元からの永久機関であったかのように再び動き始める。

もうやめてくれ。

考えるのは疲れたんだ。。

という想いとは裏腹にバックの内側が明らかに湿っている。

ペットボトルの蓋は閉まっている。


が、日本でもスポーツドリンクの仕様などである、飲み口が小さい穴となっており、容器をプッシュするか吸い込むかすれば必要なだけすぐに飲めるタイプのものだった。


ペットボトルの容量は明らかに減っている。

おそらくは50~80mlくらいは減っている。

道中何かのタイミングで口元部分が緩んで、カバンの中でプッシュされる度にトレビアーンな噴水をリュックの中に描いていたのだろう。。。

なんて脚色している場合じゃない!

幸いバッテリーやkindleなどには衣類を入れた袋がカバーしてくれており、大丈夫だった。

若干ガイドブックと手帳、お土産で買ったヴィエリチカ岩塩坑の岩塩が濡れた程度で済んだ。

カバンもまあ一晩あれば乾くだろうと、部屋にあったドライヤーをかけようと荷物を取り出し始めた。



ん・・・



またもや嫌な予感がする。。。


なんか白くて丸い粒が手についてるな。

なんだこれ・・・



荷物を取り出すたびにそれは増えていく。



まるで岩塩坑を掘り進むかのように一歩一歩リュックの奥へと進んでいく。

奥底にたどり着いた。




そこにはなんと美しい煌びやかな岩塩が目の前に広く広く広がっていたのだ!

まるで塩の絨毯のよう・・・!



バックの底が塩まみれになっているではないか!


WHAT!?!?


お土産で購入した岩塩は一切封を開けていないのになぜ!?




よくみたら入れ物のフチ部分が水にしみて凹んでいる。


開封の蓋が開きかかっていたのだ!

日本で言うとマジックソルトの容器みたいに、ボール紙パックのような容器だった。


EUの買い物で買い物袋をもらえることはまずない。

スーパーなどではレジ前に有料で売っている程度で、観光地のお土産などは基本的にマイバッグだ。


なので適当にリュックに放り込んでいた岩塩が、様々なプレッシャー(圧)とトレビアーンな噴水によって堅牢だったろうボール紙の容器からウェルカムしていたのだ。

完全に容器の口部分がめり込んでいて、リュックの底には塩度の高い海が広がっていた。


そういえば、コミケほかの時にお土産で皆さんに配っていたのは、もちろんもう一つの無事だったものなのでご安心を。


二つ買っておいて良かった。。。というか、ショックすぎてもう何も覚えていない。

おそらくリュック底に広がった岩塩を手でかき集めて処分したり、ドライヤーで乾かしたりしたと思う。


この記事を書くベースにしている当時の日記もそれ以上のことを書けていない。


そうして今夜もポーランドの夜は老けていくのだった。

誤字変換だけど、そりゃもう老けるわい!

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とあるマルザンナのココロの旅 ポーランド編⑦修道院の宿へ... [アルトネリコ・サージュコンチェルト]

アウシュビッツから足早にクラクフ中央駅へと戻ってきた。

帰りは先述のライコックバスで1時間30分15zl。バスの隣の座席が疲れ気味にしていた女性で、その影響を受けたのか、思わず自分も眠ってしまった。一応足元に置いていた壊れたジッパーのリュックを抱き抱えたとはいえ、海外での居眠りがはご法度である。特に何事もなかったが、気をつけておきたい。

時間に余裕もあったので早めに夕食を駅構内のポーランド料理店でとり、宿への早めのチェックインをしようとした。

ポーランド料理はあまり印象にないかもしれないが、基本的にはヨーロッパ料理に郷土料理が入るイメージだ。

お昼と同じようなチキンとポテト。
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そしてワルシャワでもスープ上のものを食べたが、ピエロギを。
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ピエロギはやはり、皮の固い水餃子だった。
まずくはないが、特別美味しいわけでもない。普通にまあまあ美味しく食べられるが、量が多い。
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この日の宿はティニェッツ・ベネディクト修道院。ここは地球の歩き方の隅に掲載されていたもので、インターネットの予約はなく、メールでしか予約はできなかった。事前に調べようにも、ポーランド語のサイトを英語に翻訳しつつ、確かめるしかなく、メールも返信があるのか心配しながらも一応の返信で予約が確認できたので、そこに向かうことにした。

地図やサイトで確認をすると、クラクフ市内から市バス112番で30分程度行ったところであり、少し距離はあるもののアクセスは簡単そうであった。。。

そして、このワナにハマってしまった。自己責任もあるが。



さて、食事を済ませた後バス乗り場へ。



112番の市バスが見当たらない。


ひとまずインフォメーションに行けばなんとかなるだろうと考え、今日だけで数回目のバスinfoに。このインフォメーションは上の階と下の階にそれぞれあるのだが、上の階で聞くと「さっぱりわからない」と。朝と昼にそれぞれ立ち寄った時に、すでに若干の不信感はあったのもあり、嫌な予感がした。

「市バス112番はどこですか」

「ここにはない。他に行け」

やっぱり。

でも経験上ここで引き下がると露頭に迷う直感が働き、

「どうにかならないか。困っている。どこへ行けばいい」

と食い下がると、

「Tourist Information」と一言。

その辺にあるだろう、と言い追い払われた。


ちなみにポーランド人の若手の人たちは比較的英語が通じるが、いわゆるおじちゃんおばちゃんたちは苦手意識もありつつ、そもそも話したがらない。こういうタイプの人たちが相手の場合は文章で話すより単語で話した方が反応してくれやすい。

例えば、「このバスはティニェッツに行きますか?」と聞くよりも、バスに乗り込んで「ティニェッツ?」という具合だ。



さて、Tourist Infoを探せと言われ、駅周辺をウロウロ。

時間は過ぎていく。

時間もまだ切羽詰まっていなかったので、まずは自力で考え、探して見てから誰かに聞く。

これがいいのかはわからない。

最初っから誰かに聞くのが早いかもしれないが、個人的には少しは考えてから行動するのが良いと思う。もちろん良い人もいるが、正直良い人に当たる可能性は低く、大抵は日本人の感性からするといい加減で適当である。

ガイドブックには30分あれば到着できると書いてあったので、この19:30時点ではまだ大丈夫だと思っていた。

しかし、なかなかTourist Informationは見つからない。

20時も近くなり、ヤバ目になってきたので駅に戻り前からやってきた人の良さそうな警備員のおばちゃんに場所を聞いてみたところ、とても親切に教えてくれ、近くまで案内してくれた。

「この階段を上がればあるわよ」

本当に困っている時の人の親切は本当に身に沁みる。。
ありがとう、本当にありがとう!!

「ヂェンクイン・バルゾ!」と、唯一使えるポーランド語で感謝を伝え階段を上がった。



階段を上がると駅のプラットフォームに入った。
「i」の看板を見つけ、喜んだのも束の間、なんとそのinfoは時間的にやっていないどころか、看板以外跡形もなくなっていたのだ!!

唖然とした。

詰んだ。

思わずヒザが折れそうだった。アニメでは絶対に折れてるところだろうが、必死に踏ん張りかろうじて立ちつつ涙を堪えた。

人間て、心底絶望した時に本当にヒザって折れるもんなんだな、と謎の客観視を脳内に巡らせながら20時を過ぎた時計を見つめ、最大チェックインの21時に間に合わないかもしれない、と。

修道院のページには22時には完全に受付なども閉まると書いてあった。

修道院とはいえ、海外の情報はアテにならないので、連絡を入れれば22時までは入れてくれるかもしれない。

ふらふらになりつつもWi-Fiスポットを探し回ったら、今度は本当に空いているTourist Infoを発見!なんと、さっきまで夕食をとっていたポーランド料理店の近くにあったのだった。OMG...


「市バスのティニェッツに行きたい」と伝えると、その場で調べてくれた。

「52番トラムで終点まで行って、203バスに乗れば行けるわ。」と付箋にメモをしてくれて一安心をした。時間も20:30、wifiスポットも見つけ、ホテルにも遅れる旨をメールにて連絡。海外ローミングは使用していないので、電話はできない。メールを見てくれているか甚だ疑問ではあるが、何もしないよりはマシである。

唯一の不安は、市バス112番ではなかったこと。
ただ、経路を明確に示してくれたので、30分ではつかなかったとしても、辿り着くことはできそうだと胸を撫で下ろした。

ちなみに地球の歩き方にはワルシャワはトラムなど詳しく路線図などが記載されていたが、クラクフ観光に置いては必要性が少ないからなのか、バスはもちろんトラム路線図は全く載っていなかった。

駅には駅周辺のトラムやバスの路線図はあるものの、駅周辺を通らずに市街地をかするように通過するものは一切表記がなかった。そして市バス112番はそれに該当するのであった。



さて、52番トラムの場所に行ってみると本数が少なく、20分待った20:55に駅を後にした。

正直不安が募った。

もしかしたら22時にすら到着できないのでは。。。
その不安は乗車時間が増えるたびに確度が増していく。

地図的で確かめている位置として、トラムには軽く乗ってすぐにバスに乗り換えかな、というような距離感であったが、トラムの終点が全く見えてこない。結果的には30分もトラムに乗っていた。さらにはそのトラムの車内券売機がシステムエラーで壊れていてチケットが買えない。後から乗ってきた乗客も同様だったが、検札がきたらどうしようという不安もあった。


21:25 終点で乗り換えのMakiに着いた。降り立つとすぐ目の前に市バスの203が。wifiがないので自分の現在位置も全くわからない。ティニェッツのバス停から徒歩で10分あると書いてあった。

このバス、運転手が乗ってないけど、いつ出発なんだろうか。さすがにあれだけトラム乗ったんだから、だいぶ近づいたに違いない、と内心を励まし、バス車内にあった行き先表とかかる時間を確認した。「Tyniec」はちゃんとあった!infoのお姉さんありがとう!

時間は・・・「30min」

終わった。。。

徒歩も入れると確実に22時を過ぎる。

外国で時間に遅くなる意味で融通の効いたところを見たことはなかった。
おそらく文句なしで閉まるだろう。

もしもこのバスに乗って、現地へ向かい修道院へ入れなかったとすると、終バスも何もない辺境の田舎道に夜中にポツンと取り残されてしまうのではないだろうか。。。

どうする。
今から予約すっぽかして市内に戻ってホテルを取り直した方がいいのでは?
あるいは、メールを見てくれていることを祈って駆け込んでみるか?
外国では容赦がないとはいえ、そこは修道院であるし、迷える旅行者に手は差し伸べてくれるのでは?
しかし、修道院ということで22時はすでに就寝しているのでは?

様々な思考が一気に駆け巡る。

バス車内で問答をしているうちに運転手のおっちゃんが軽快に戻ってきて、あっという間にバスを発信させてしまった。もはや後戻りはできない。もしも修道院の門戸が閉まっていたら思いっきりノックをして声をかけるしかない。全くダメなら野宿か、あるいは。。夏とはいえ外気20度以下の田舎道になんの装備もなくそれはキツい。

そんな問答、いや苦悶しているうちにあっという間にTyniecへ到着した。事前に地図で調べたところ、バス停からベネディクト通りを歩いて10分。時刻は21:55。
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・・・走れば間に合うかもしれない!!!

一縷の望みにかけてバス停から道を間違えないよう慎重に選び、全速力ダッシュ!!
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10分の道を5分で着くには普通に走ったのでは間に合わない。休んだらアウト。

民家の犬に何度か吠えられるのを後にし、走り続ける。

今思えば当たり前かもしれないが、修道院は町の高台にあった。つまりはずっと上り坂。

旅行ザックを背負って全速力を5分、めちゃくちゃキツかった。途中何度も止まりそうになった。

でも、止まったら、終わる。。

早朝から限界行動を続けて疲労しきった身体にムチを打ち、もつれそうになる足を気合いで踏ん張って走り続けた。

21:59 城門のような修道院らしきものの門が見えた。

頑張れ自分!動けオレの足!(どこのアニメだか)

22:00 開いていた門に駆け込むことに成功した...!

院内に入ったところでは人気がなかった。ひとまず受付を探して行ってみるが、真っ暗で誰もいない。

とにかく誰でもいいから人を探そう。

中庭に戻ったら幸いなことに優しそうな男の人が何か作業を行っていた。

事情を説明し、チェックインができるかを尋ねてみたところ、丁寧に「僕には何の力にもなれない、すまない。」と。

感謝を伝えると背後にあった礼拝堂から誰かが出てきた。すると、「あの僧(monk)ならきっと力になってくれるはずだよ!」と笑顔で教えてくれた。

後から振り返ってみれば「何のRPGゲームだよ」、ともツッコミたくもなるが、そんな余裕はない。必死だった。

出てきた男の人に同じく事情を説明したところ、何とかしてもらえることとなった。この旅で一番大きなため息をついたのを覚えている。

どうやらミサを行っていたらしく、その準備で外に出てきたとのことであった。

心底安心したからか、熱った身体のまま受付への道中でベラベラと心中をしゃべくりたおしていたら、

「calm」

と、穏やかに諭された。ミサを行っていることはここで聞いた。

受付を代行してくれ、名前を確認したのちにその僧が「ジョム」と穏やかに言い放った。
ジョム?なんの意味だ?と首を傾げていると再び、「ジョム」と。
最後には手を差し伸べながら「ジョン」と言った。ここで初めて名前を紹介してくれたのだとわかり、改めて笑顔で挨拶をし、感謝の言葉を述べた。

ジョンは一つ一つ丁寧に案内をしてくれ、最後にはもうすぐ中庭でミサのコンサートがあるからと誘ってくれた。

教会内のミサ以外には人もおらず、静まりかえっていたがゾロゾロと中庭へとミサの人たちが出てきた。
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コンサートはミサの最後で5分程度であったが、そこには集まった人たちの「想い」がたしかに視えた。

真っ暗な自然に溶け込む町の修道院の中、穏やかな音楽にのせてそれぞれの想いが温かな光(火や照明)に昇華していく。
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礼拝堂から中庭に設置されたステージに移った歌い手とパーカッション。
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夜の帳が下りる中、ライトアップされた教会とステージが聖なる炎の揺らぎ、白く質素で敬虔な衣装と茨の冠を飾り立てた歌い手が静かに謳いあげる様子は、まるで天井世界で祝祭を催しているようであった。

sacred...自然と言葉がわきあがった。感覚的に感じることができた。

大変な1日ではあったが、最後にとても幻想的な体験をすることができた。それまでの俗にまみれた考えや行動がスゥっと身体の中から抜けていった。このために今日があったのかもしれない。


穏やかな気持ちになり、部屋へ。
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ベッド・ソファー・質素な木の机・椅子・水道と照明。壁には木製の十字架。
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ヴィエリチカ岩塩坑を出てからというもの、色々なことがあった。頭も身体も火照っていた。しかしこの部屋、天井も高く直方体の少し広めの部屋の壁面は白で統一されており、窓の外にはミサの余韻に浸る人たちが庭で穏やかに談笑している。なんというか、落ち着かざるを得ない。徐々に意識は自分の内側へと向いていった。

心を落ち着かせて自らを顧みる。

「ちゃんとしよう。ココロと生活を正して、自然にしよう。今日行けなかったところのことや、今後の行程、帰国してからのこともゆっくり考えよう。

自然とそんなことを振り返る時間となり、木製の机と椅子に身体を預けながらまどろむまで日々を反芻する。眠気とともにベッドへと入り、長い1日を終えた。





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とあるマルザンナのココロの旅 ポーランド編⑥アウシュビッツへ...しかし [アルトネリコ・サージュコンチェルト]

地上へ

さて、、一気に地上へ一気に出ることとした、と先述したが、レストランのところちょっとくらいのところにエレベーターがあって一気に出られると思っていたのは大間違いであった。。

昼食を平らげた後、引き続きのツアーに参加する列とエントランスに向かう列があったので迷わずエントランスに向かう列へと並んだ。おそらくこの先にエレベーターがあるのだろうと。このとき時間は12時ちょっと前。予定では12:30にヴィエリチカを出る予定で組んでいるので余裕だろうと。

まもなく進む案内がされ、8人ずつ歩みを進めていく。5分ほど歩いてもエレベーターに着かない。まあだいぶ奥まで潜ったからそれなりに距離もあるのだろう。時間は大丈夫。

さらに3分ほど歩くと案内してくれていた男性が急に広間に立ち止まってレクチャーを始めた。たしかに、そこは展示物のあるスペースだった。石器時代の土器や武器など展示されていたので帰り道のおまけ程度のものかなと流れにそって見学をする。しかしここからガイドツアーが始まり、さらに30分は経過したところでようやくエレベーターまでたどり着いた。

時間は12:35になっていた。orz…。移動は2時間だからまあ何とか大丈夫だろうと、しかし少しは焦りつつ地上へと出た。見知らぬ土地ではよくあること、ということで一応はこういう事態も想定はしているので、事前の予定ではアウシュビッツに予定の1時間前には到着で組んでいたのだ。まあこれまで特に海外の一人旅では色々とあったので、それらの経験が多少なりは役に立っているのかもしれない。
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さて、地上に出たのはいいが、出た場所は最初に入場したポイントとは全く別のかなり離れたポイントであった。うぇぇぇぇ、ここどこやねん!いくら少し余裕があるとはいえ、このままでは余裕貯金を使い果たしてしまいそうだった。どっちへ進めばいいかもわからなかったので急いで地図を探し、道ゆくスタッフなどに出口を聞く。売店の近くなどは幸いWi-Fiが入ったので、地図で確認をしつつ元きたバス停へ何とかたどり着くことができた。

観光地なのでそれなりにバスや電車があることは調べていた。が、先述している通り、電車は工事の関係で1日の本数が激減しているのである。時間は大体13時。次の電車は、、14:15。電車ならクラクフまで20分程度だが、バスは40分かかる。

仕方なくバス停で時間を確認すると13:15に来る。ちょうどよかったので時間を気にしつつもそれに乗車をし、駅まで戻ることができた。何というか、改めて思ったが、日本の観光地というのはちゃんと来たところまで戻ってくる丁寧な設計になってるんだなぁと大痛感した。EUの観光地も普通のものであればそうだが、自然物に関する観光はそういえば初めてだったかもしれない。ヴィエリチカ岩塩坑もホームページで見る限り、出口がかなり離れている、という印象はなかったので油断はした。


クラクフ中央駅からオシフィエンツィム(アウシュビッツ)へ
バスは混雑をしていたのでほとんど立ちっぱなしであったが有無は言っていられない。14時には駅に到着し、アウシュビッツまではバスで1時間半。うはぁ。ギリギリ。。。まあ10分くらいの遅刻であればギリギリツアーに合流できるかもしれない。バスを探す時間を無駄にしないよう、すぐにinfoへと駆け込み「オシフィエンツィエム ミュージアム」行きのバスを聞いた。これはポーランド在住でブログの情報発信をしているAyakaさんが、こう聞くとわかりやすいだろうと自身のブログで書いていたので参考にした。
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14時のバスに乗車は叶わなかったが、14:10のバスには乗れた。予定していた観光バス的な大型バスではなく、ワゴンを少し大きくしたくらいのプライベートバス?に乗車する。車内はこれもまた混み合っていて一人がやっと通路に立てるくらいの狭さであり、満席でまたしても座れなかった。ヴィエリチカの地下レストランで余裕をぶっこいて昼食を食べていたとき以来一切座れていなかったのでさすがに疲れはあったが、仕方がない。

狭い、暗い、狭い、暗い、暑い。カーテンも締め切っている。冷房は効いてるのかよくわからない。汗の匂いが出ないように気を使いつつ、でもつかまってないと揺れがパないのでもう色々シンドかった。でもこれを抜ければアウシュビッツにつけるんだ!とジャパニーズガマンを見せつけながら(謎)1時間は立ったまま乗車していた。客の出入りもシンドイ。何でこんな狭いワゴンもどきのバスで出入りするんや(涙)。

1時間の立身乗車を終え、ようやく座れることに。バスのおっちゃんもかっ飛ばしてくれてるし、予定通りの時間配分なら10分の遅刻でツアーも飛び込みで交渉すれば何とかなるだろう、と座れた安堵感もありココロを落ち着けた。

バスに乗車をし1時間半が経った。バスは一向に「オシフィエンツィム」に着く気配はない。一応バスに乗り込むときに運転手のおっちゃんに「オシフィエンツィエム ミュージアム?」と聞いて、「イエス」ともらった。間違いではないはずなのだ。。座るとカーテンを開けて外の様子を見ることができたので、街の看板を探し、確認をするとオシフィエンツィムまであと30kmとあった。そのときに通過していた街の名前はたしかシヴィエツ。世界の歩き方で位置を確認するとオシフィエンツィムの南部に位置する。。って、めっちゃ通り過ぎてるやん!どうやら迂回をしながら最終的にオシフィエンツィムへと至るらしい。

バスの中も乗客がほとんど降りてしまい、引き続き田舎道を快速にかっ飛ばすおっちゃん。せっかくなので近くの座席まで行き、あとどれくらいで着くのか英語で聞いてみた。一応は通じた様子で、大体30分くらいだと。時刻は15:40。オワタ。。。さすがにツアーに1時間以上も遅刻では途中参戦できないだろう。現地に着いたらその時間のツアーが取れるか確認をするしかない。ただ、この日の宿のことを考えると、そのツアーさえ途中抜けしないと厳しい。なぜならば、わざわざ一風変わった郊外にある修道院の宿泊施設を取っていたからだ。最悪今からでも街中の適当なホテルを予約することもできるので、可能ならアウシュビッツを優先して、そうしようと密かにドキドキするココロに決めた。



16:15オシフィエンツィムミュージアム到着

考えや感情を整理するには十分すぎる時間があったのでもはや清々しかった。

アウシュビッツに着いたぞー!と。最初から最後までかっ飛ばし続けた運転手のおっちゃんに「ヂィェンクイン バルゾ」と覚えたてのポーランド語ありがとうを伝え、清々しく意気揚々とやけくそ気味にバーンと降り立った。行ってやるしかねぇ。ミュージアム直通の大型路線バスはミュージアムの目の前に到着するようだが、こちとらプライベートバスのバス停からは10分くらいは歩いただろうか。
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チケットセンターに到着したのはおよそ16:30。そこで目撃した光景は・・・アイマス物販列かよ!とツッコミを入れたくなるような長蛇の列。
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様子を伺ったところどうやら当日券で入れそうなのは18時頃の回にギリギリ混ざれるかどうか。一か八かでinfoや入場ゲートの係員、近くをウロウロしていた警備のおっちゃんなどに「15:30からのツアーを予約したんだが、途中からでもいいので参加できないか」と予約表を見せながら聞いてみた。

なんと・・・!と期待したかったが、ここはEU。やはり八だった。もちろん粘ったが、無理なもんは無理。適当な自販機でSpriteを買ってグビグビプハーをやりつつどうしたもんかと考える。仮に18時のツアーに参加できたとして、終わるのは21:30。クラクフの街に戻ると23時。現状の修道院の宿はチェックインが21時で22時には閉門してしまう。ホテルズドットコムでクラクフ市内のこの日の宿を探してみると、一応六千円くらいであるにはあった。でも今から並んで18時に確実に入れる確証はない。正直ヘトヘトでもある。さて。
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この日は諦めて翌日の日程の中で調整できたらしようと考え、先のAyakaさんのブログにもあったオススメの大型観光バス「アイコック」に乗って駅への帰路へと着いた。アウシュビッツ滞在時間、約30分。入り口のモニュメントとチケットセンターの列を見て終了。
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それにしてもこの日は予約もたくさん入っていたはずなのに当日券にどうしてこんなにも並んでいるのか、この並んでいる人たちは入れるのか急に気になったので聞いてみた。気になったのはその場で明日の予約をネットでしようかと思っていたが、1週間先まで無理だったからだ。

スタッフに聞いてみると、実際に1ツアーにつき予約者が半分、当日券が半分とのことだった。うーんなるほど。明日の朝イチで来れば有意義に1日を使えるのかもしれない。予約で払った60zlは情報量と、追って書くだろうポーランド本のオチとしての先行投資だと思うことにしよう。でなきゃやってらんねぇ、と帰路のバスの中で自身を慰めたのであった。ちなみにこのバスはぴったりと1時間半で駅に着いた。(うおおおい!)
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とあるマルザンナのココロの旅 ポーランド編⑤ヴィエリチカ岩塩坑へ [アルトネリコ・サージュコンチェルト]

8月14日(水)
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Botさんにはわかるだろうギャヴィのモーニングコールで無事に朝5:00に目を覚ました。
ちなみにEUへ行くと初日や二日目の朝はいつも早く目が覚める。その恩恵にあずかったのもあるだろう。

余裕を持って準備をし、ホテルを出発。昨日乗りこなした?トラムを使ってスムーズに駅へ。
15分前には到着できた。基本的に駅へは15〜25分についておいた方がいい。
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というのは、ポーランドはまだわからないが、EUの場合急にプラットフォームが変わったり、時間が変わることもあるからだ。過去に色々あった。特にスペイン。。

今回は特に変更もなく大丈夫そうであったので、売店でSUSHI ONIGIRIとTOKYO ONIGIRIとおにぎりらしきものを見つけたので買って食べてみた。
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SUSHIの方はまあ鱒寿司といった感じだったが、TOKYOはなぜかシナモン?が全体にまぶされていて(おかかならどんなに良かったか!)、くさい&つめたいのダブルパンチにしてやられた。
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外国って普通にマズいもの売ってるよなぁと、改めて日本の良さをこんな時実感するのだった。

約二時間半の道中は案外眠くならずにこの旅行記を書いたり、ガイドブックを読んで動きをイメージしたり、実はまだ最後まで観終わっていなかった映画「残像」の続きを観るなど有意義に過ごすことができた。
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8:13、定刻通りにクラクフ中央駅へと到着
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事前に調べていた情報によるとヴィエリチカへの鉄道路線は工事が入っており、鉄道の本数は半減、減った分は代替のバスがあるということで8:30の代替バスを探した。これに乗れば9:08には到着する予定でちょうどいい。と、この時は思っていた。ちなみにツアーの予約は9:30のものを取っていた。
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そうは問屋が卸さないのが外国一人旅の醍醐味である。(これって私だけ?)

調べてみたバスの発着場に行ってみたが、わからない。

バスinfoがあったので聞いてみると「エイティーン」と一言だけ。とりあえず18番の代行バス停に行けば大丈夫そうだ。ただ18番の電光掲示板は明らかに別の行き先に表示されており、8:40発となっていた。そして調べていた代行バスの写真とは明らかに異なるものでサイズも1サイズ小さい。

ひとまずドライバーに「ヴィエリチカ ソルト マイン?」と聞いてみた。

もっとちゃんと英語使えよ、という話なのだが、英語を苦手とする国や年齢層だと逆に通じないことがある。こちらは明らかに外国人観光客なので行き先だけ伝えてイエス・ノーをもらう方がお互いに理解しやすいのだ。

そしてヴィエリチカ自体は「街の名前」なのでちゃんと「ソルトマイン」をつけた方がいい。アジア人旅行者なんだから察してくれ!というような考えは外国では捨てた方がいい。「聞かなかったお前が悪い」というのが定石である。(日本すごい)

案の定バスのおっちゃんは英語が苦手そうであった。
幸いにも頷いてくれたので「ワン チケット プリーズ」とその場で購入。
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8:40発だから9:18には着くはずだ。近くなったら改めて確認してみようとココロに決めて満員の車内に乗り込んだ。これだけ人がいるならみんな観光で岩塩坑に降りるだろう、と期待していたのだが、30人近く乗っていたバスでそこへと降り立ったのは私とたった1組の父娘だった。


ヴィエリチカ岩塩坑
Infoでツアーのピックアップはどこかと確認をし、9:26には集合場所で並んでいるところに合流できた。順に5人組の人、3−4人組の人、2人の人と呼ばれていたので、最後にボッチ…いや、一人の人を呼んで調整するのかなと思って待っていたら、9:30になっても呼ばれない!!!

待機している人はまだいるのに。。と思っていたら入り口を閉められそうになったので慌てて列をかいくぐりスタッフに「アイ ハブ リザベーション ナイン サーティー」とスマホにスクショをしておいた予約表を見せたら何事もなかったかのように中へと通された。

なんだまだいたのか的な感じ。でもこっちでは当たり前。(日本すごい)。改めて指示待ちではなく、自分から動かないと何もできないなぁと久しぶりの海外に実感を深めた。


入るとハイっとオーディオガイドを渡された。
操作は難しくなかったが、300近くあるチャンネルの何番に合わせればいいのか誰も教えてくれない、もしかしたらすでに説明が終わっていたのかもしれないなと諦めて、かたっぱしからチャンネルを探っていった。
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23と24でかすかにチャンネルがはいった。
他にも123が生きていた。

ひとまずのところ23に合わせて、いよいよ内部へのツアーが始まり、前室のような内部洞窟への降り口へと通された。20人くらいだろうか。ガイドが前方で話を始めている。ちょっと聞こえづらい。オーディオガイドと組み合わせながら聞くのかな、と23のノイズ交じりなオーディオガイドにも耳を傾けた。

このとき、おばあちゃんがいきなりツアー列に飛び込んできた。ギリギリの参加者かもしれない。

あたふたとおばあちゃんがオーディオガイドをセッティングしていると、近くの高校生くらいの女の子が「24番に合わせるのよ」と英語でそのおばあちゃんに教えていた。

なるほど、そうか!とココロの中で頷き、24番のチャンネルに密かに合わせたところ、めっちゃクリアにガイドが聞こえる。サンキュー、おばあちゃんと現地女子高生。これで順調にツアーをこなせそうだ。
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ツアーの最初は木材で組まれた階段を地下30階分くらいひたすらに下っていった。とにかく降りるだけで、上を見上げても下を見下ろしても空洞と階段しかない。修行僧か!とツッコミたくなったが、これには他のツアー客も同じような感情だったかはしれないが、笑いが溢れていた。いったいどこまで続くんだ的なものである。
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壁のナンバリングの数字は1つの階につき1・2と2つ分カウントされていた。最後の方の数字は60くらいだったので、おそらく地下30階、人が1人分が1つの数字の高さにあたったので、地下90mくらいかもしれない。降り立った先の広場ではガイドが待ちながら出迎えてくれていて、改めての説明と見学ツアーが開始された。

最初は木組みで支えられた洞窟を奥へとひたすらに進んでいく。
10分くらい進んでいくとようやく最初のガイドスポットに到着した。
岩塩坑自体についてのみ解説をしていくのかと思ったが、思ったよりも遥かに幅広い情報量を吸収することとなるツアーだった。
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坑夫たちの仕事のマニュアルから実際に使用した道具のほか、先史時代からの歴史的な流れや歴史上の情勢など、非常に盛り沢山で、洞窟内部も広いことからその探索だけで2時間は歩き回った。
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途中個人的にメインであった、聖キンガ妃の話もあり、トライナリーの中で得られた情報以上に、より献身的にこの岩塩事業に取り組んでいた様子を聞くことが出来た。(岩塩でできている)
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演出もあるだろうけれど、このヴィエリチカ岩塩坑がポーランドという国にもたらした影響力を体験することが出来たのは嬉しかった。(ガイドは英語である)
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礼拝堂
さて、2時間のうちメインで聖キンガ妃について語られたのは二箇所で10分ほどであった。ラストの方ではよくガイドブックにも載っている聖キンガ妃を祀った礼拝堂に到着。ここでは10zlを支払うと写真や動画の撮影許可がもらえる。ここに来て追い課金かー!とは思ったが、払わないわけにはいかない。無事に支払い、許可証シールをゲットした。これで堂々と撮影が出来るぞ。
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撮影をしつつ、今回の目的地の一つ、ヴィエリチカ岩塩坑の聖キンガ礼拝堂の空気を味わっていると、なんだか色々と想いがこみ上げてくる。triOSを通じて、ガブリエラと知り合い、様々なことを経て結婚をした。その際に彼女が言っていたのが、ハネムーンでポーランドに行きたいということ。そしてこの岩塩坑に憧れを抱いていたこと。
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彼女の想いを宿した年次報告の手紙にあったチャームを手元によせると、えもしれない深い感動がココロにこみ上げてきた。確たるものがあるのかないのか、そんなこともはやどうでもいい。自分自身のココロを持って、世界や次元なんて壁軽々しく飛び越えていけばいいのだ。リアルがどうこうなんて問題は宇宙や魂のレベルからモノを見れば非常に微々たる些細な問題にすぎない。結局のところ自身がどのように想い、感じ、行動をするのかにのみ帰結する問題であるからだ。ただ、そこにある、胸の奥から湧き上がってくる気持ちのみが本物であるのだから。
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少し捻くれた見方をすれば、目の前でイチャイチャするEU人を見ていると、ヒマで退屈だからと、フロイトが病気であると提言したような分泌物に沿って恋人を作ったり、誰かと一緒にいたいと思ったり、電話をしたりしているのではないか。

何が幸せなのかはその人のココロが決めればと思う。
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動物における相互依存の関係性は、そういったものからも生まれているのではないか。イキッた言い方をすれば、それらを脱却した状態にいるひとたちは精神性において時代の先端にいるのでは、と思ってしまう。

ブッダにせよ、キリストにせよ、ムハンマドにせよ、それらの超越者だからこそ、人間世界の希望の光となっているのではないか。教会で涙ぐむ女性を見てそう思う。

だいぶ穿った見方を書いたが、EUの観光地というのはどこもイチャイチャチュッチュのハグハグだらけであることや、退屈そうに1人で電車にのっている少年などをちょうど見てきたせいもあって、そんな考え方にブーストがかかっただけのものということで、ご容赦願いたい。友愛や友達依存を否定しているのではなく、もっと本質は違うところにあるのではないか?という自分への言い訳をしているような者だ。
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脱線が長引いたが、聖キンガ礼拝堂の見学タイムを終えると終盤で、2時間に及んだツアーは解散をした。あとは各自でツアーに引き続き参加するか帰るかを選ぶものだった。
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オプションツアーという訳ではなさそうで、そのまま参加もできたのだがアウシュビッツ収容所にも同日内で訪れる日程から今回は断念し、地下レストランでザワークラフトとチキンというE Uの定番的な料理を平らげてエレベーターで一気に地上へ出ることとした。
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最初に60m近く降りた後も緩やかに下降しながら洞窟内をひたすら進んできたこともあり、解散した場所は地下130mにも及んでいた。こんなにも地下深い場所でもお土産の売店やレストランなどが充実しているあたり、観光資源として今でも重要な役割を担っているんだろうなぁと思う。
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レストランから30分進んだ先にあるエレベーターで一気に地上へと出た。
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とあるマルザンナのココロの旅 ポーランド編④初日ワルシャワ編 [アルトネリコ・サージュコンチェルト]

2019年8月13日(火)

現地時間6時30分頃起床。

見知らぬ天井・・・とお約束をして、すぐに、あぁ、ポーランドにいるのだなと少しばかりの時間想いを馳せる。

さて、今回の旅程を拙著「卒業文集vol.3のポーランド聖地攻略序章」より確認しておく。
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この日はいよいよトライナリー唯一の聖地カットがある旧王宮広場を含むガブリエラの故郷をじっくり回れる日だ。
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一日を目一杯使おうとまだまどろむ頭の中で少しばかりの決意を新たにした。
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素泊まりではあるが2泊とっているので荷物は部屋に置き、財布、パスポート、スマホ、ルームキーのみGパンのポケットに入れて手ぶらで出かける。

サスキ公園〜旧王宮広場へ
旅先で歩くことが好きな私にとって約3kmある旧王宮までの道のりはちょうどよい散歩距離であった。
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ゆっくりと街並みを見ながら歩き始める。
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全てではないがヨーロッパの主要都市をこれまで見てきた私の目には、ポーランドは主要国に比べて若干遅れている国なのかなと思えた。
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これは感覚的なものなので、言語化できなくはないが、野暮に感じるのでいまここでは書かないことにしよう。
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30分ほど歩いた先で小腹が空いたのとwifi環境がほしくなったので、適当なカフェ(ポーランド国内チェーン?のGreen Cafe NERO)に入った。
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カフェで店員とやりとりをしたり、店内の雰囲気を眺めていると徐々に外国に来ているんだなという実感が湧いてくる。いつもの旅なら自由度を高くし、適当にやり過ごすことも多いのだが、今回はヘタレた自身に少しムチを打つ意味でも色々と挑戦してみようとここで決意を新たにした。
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道中にあるサスキ公園では赤と白の花絨毯が中央広場に向かって敷かれていた。
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これはポーランド国旗の色を示すものだろう。
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ちなみに国旗の意味は、元はポーランドの建国者レヒが、夕日を背景に飛ぶ白鷲を見て旗にしたとされる。しかし、19世紀の独立運動の中では、白は共和国の尊厳を、赤は自由を表すものと意味が変わり、現在に至っている。1980年までに濃く明るい赤色に改訂された。(wikipedia参照)

なおサスキ公園では衛兵の交代式も行われていた。
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配色についていえば日本も同じ赤と白を使用しており、ガブリエラの歌の中にも「W nadziei na trwały...」と、両国の繁栄と友好を祈るものが示されている。
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白い炊き立てのご飯もキューティーな赤のバルシチも両方いい。
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ワルシャワ大学にも顔を出しつつ、観光の王道でもある新世界通りを通って有名な旧王宮広場に出た。
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通りをゆるやかに上り歩きながら行き着いた旧王宮広場は、ちょっとした高台に出たように景色が開けて、小さな山の山頂にたどり着いたような感動が胸におそってきた。
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ここがあの、ガブリエラが書いたポーランドワルシャワ観光のメッカ、旧王宮広場か!と少し歩き疲れた脚も心地よさに変わり、しばしの間その景色を堪能した。
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少し落ち着いてきたところでオタクらしく?ガブリエラとともに記念撮影。
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ひとしきり聖地の空気を味わった後は王道観光ということで、旧王宮見学、教会見学、復興されたワルシャワの街歩きをした。
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幸せの鐘
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人魚
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ガイドブックにはなかったが、新市街広場のほんの少し先に行ったところにある教会は人もほとんどおらず、周囲の喧噪もなく、小さな咳払いすら隅々まで響きわたるほど静寂に包まれていた。
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耳鳴りが痛い。こんな感覚いつ以来だろうか。互換が磨かれる感じ菓子、こんな空間であれば神聖なものを感じ、自己の内省も深まると環境による自己の内面の変化に気がついた。
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このあたりから街中でよく聞こえてくるヂェンクイン(バルゾ)というフレーズがよく耳に入ってくるようになる。ありがとう、だ。

これまでいくつかの国を歩いてきたが、ことポーランドにおいてはほとんど無知な状態で入国を果たした。今回のきっかけとなったトライナリーでその都度ガブリエラのポーランド語は訳していたが、体系的なものではないので、身にはついていない。

せめて「ありがとう」くらいは、このときくらいから使ってみることにした。


街歩き
ランチを探して街中をぶらり。一旦旧王宮まで歩いたことでいくらか街にも慣れてきた。

具体的には土地勘が生まれて、「この道を行くとこうなるはずだ」という地図と感覚が一緒になってくる感じだ。こうなると精神的にずいぶんと楽になる。

さて、何を食べようかと思案するが、順当にガイドブックに沿って「ザピエカンカ」という、日本でいうとピザトーストのようなものにすることにした。

久しぶりの外国でお店に入るには勇気がいる。でも入らないと始まらない。ということで屋台にプラス数席ほどある軽食スタンドのようなところに入り、目当てのものを注文。

とりあえず一番安くてシンプルなものを...といえば聞こえはいいが、メニューが読めなくて、とりあえず一番メニューの上にあるものを注文した。スラブ語系に属するポーランド語の発音は勉強していないとさっぱりわからない。

出てきたのはTwitterにもアップした巨大なソレだった。
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30cmくらいの長さはあろうか、フランスパンを横に長く切った楕円形のパンの上に熱々のチーズ、みじん切りされたマッシュルームの香りが鼻にぬける。ふんだんにかかったケチャップが食欲をそそり、見た目からなんとなくの味は想像できたが、食べてみると案外味のバランスがよくて美味しい。

ヨーロッパは若干国による差はあるものの、基本的にパンそのものが美味しい。

30cmも一人で食べるなど飽きるのではないかと思ったけれど、コクが後押しをしてくれて最後までペロリと平らげてしまった。schwetzのレモンもドリンクとして頼み、さわやかにのどを潤しつつ、食べカスとして出たパンくずは、外のテーブルだったので集まってきたスズメたちのランチともなっていたので、簡単なエコライフも感じることができた。

このお店はワルシャワセントラルの交差点から北上していった先にあったが、印象深いのは周辺がエロティックショップに囲まれており、その一角にあったということだ。

ヨーロッパの大都市ではときどきエロティックショップも街中で見かける。だいたい周囲に固まって何店舗もあることが多い。余談だが、性に寛容でオープンなオランダは他国に比べるとより多い印象である。アムステルダムにはミュージアムもあり、また世界的なゲイパレードも毎年開かれている。




おなかも満たされたので、ポーランドユダヤ人関連のミュージアムにいってみることにした。ランチをした店からも程なく近い。

entranceと書いてあったので、何となく裏口っぽいなぁと思いつつ入ってみると、電気もつけない中でスタッフと荷物チェックをする警備員。明らかに場違いな空気を感じ取り、一度外に出てみると来た方向とは反対側にstaff entranceと書いてあった。
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本エントランスはこの先にあるとの表示に従って入り口についたが、様子がおかしい。そう、休館日だったのだ。シーズンでも確実に休みがあるところなど実にヨーロッパらしいなと。仕方ないので今度はトラムに挑戦しつつ軍事博物館に向かうことにした。


軍事博物館へ
トラム乗り場にあった券売機でチケットを買おうとしていた、前に並ぶアフリカ系のチャラ男くんが立ち往生をしていた。買えなかったっぽいが、譲ってくれたので買おうとすると、カードもコインも受け付けてくれなかった。

今考えれば、だいたいのトラムの(全てではない)車内で買えるので乗ってしまえばよかったのだが、別の券売機を探しに、次のトラム乗り場(およそ交差点ごとにある)まで歩いてみた。

券売機がなかった。。これもあるところとないところがあるみたいだ。大きめな交差点だからあると思ったのだけれども。
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仕方がないのでもとの交差点まで戻り、再度チャレンジしてみたところ無事に買うことができた。先ほどはシステムエラーと出ていたのだが、ものの数十分で復旧したのだろうか。前日夜到着したときに24時間券を買っておけばコスパもよかったなと思いつつ、少しだけ安かったのであまり気にしないことにした。

一度トラム内で改札(機械があるのでそれにチケットを通す)を済ませれば、あとはもう改札する必要がおそらくない。夜ホテルへの帰りに乗ったトラムで検札を受けるが、特に問題はなかった。地球の歩き方でトラム番号を調べて隣接する国立博物館前で降りて軍事博物館へと向かった。


軍事博物館は入口から凄かった。私はミリタリー関係に全く詳しくないが、軍事利用されていた戦車や戦闘機、爆弾のモデルに砲塔などが庭にずらりと並んでいた。
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中でも戦車縦列は圧巻だった。
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それにしても、入り口を探してみると目ぼしいところが見当たらない。おかしい。これはどこから入るのか。こんなにわかりづらかったら客足にも影響するだろうと思いつつ、もしやと思っていつものガイド本を読んだところ、こちらも火曜定休!OMG!

事前に分かっていたとしてもこの日程を調整することは難しかったので仕方がない。ただ最終日前にワルシャワへ戻ってくるから、その時に行ってみることにした。


ショパンミュージアム〜ヴィスワ川
一通りのやることも落ち着いたので、ポーランド名物のポンチキを食べながら散策。
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ショパンミュージアムも近くにあったので立ち寄る。
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個人的にクラシック音楽の畑にはいたので、展示内容もなかなかに充実していて面白かった。

そして近くのヴィスワ川沿いに散策をすることにした。

パリのセーヌ川やロンドンのテムズ?川など、夏の川沿いは人で賑わっており、ヴィスワ川もその例に漏れていなかった。

露店や常設のカフェなどが所々にあり、芝生で寝そべっている人、川のほとりでビールを飲みながら語らう人、ベンチでゆっくりした時間を過ごすおじいちゃんおばあちゃん。ランニングやサイクリングを楽しむ人、家族でピクニックを楽しむ人など、実に夏のヨーロッパらしい光景であった。
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こういうことを書くとヨーロッパの人たちは時間の使い方がうまい、人生を豊かに楽しんでいると思うが、実際は環境がこういう雰囲気を作っていることもあるだろう。日本でいえば避暑地やGWの穏やかで暖かい気候。長い冬を抜け出した開放感、それを促す様々な露店と開放感あるムード。どんなに日差しが暑くても木陰に入れば涼しく爽やかだ。こんなの誰でも埋まる〜んて芝生ダイブするだろう。
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日本でやろうとしても高温多湿でそれどころではない。最近では高原地でも30℃を超えることが多いと聞いている。日本人には日本人なりのバカンスを楽しむ方法もたくさんあるが、この穏やかな気候は正直羨ましいと思った。


道中あったコペルニクス博物館を覗き見しつつ、旧王宮広場まで戻り夕飯をとることに。
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旧王宮広場・夕食

せっかくなので、旧王宮広場にある展望塔にも登ってみることにした。
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美しいソラノイロを観た。
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頭の中にはソラノキヲクと共に、かつてガブちゃんと約束していたことを想い出した。
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彼女もきっと同じ空を見ているはず。。。

夕食へ。

夕食は少し歩いたところにある広場の適当なお店に入った。
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だいたいこういう広場に出ている店にハズレは少なく、英語メニューも充実している。
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案の定適当に入ったお店は接客もよく、混んでいても手際良く料理を運んでくれた。

ちゃんとした夕食がこの旅初めてだったので、ポーランド料理であるバルシチとプラツキを頼んだ。ピエロギも頼んだが売り切れてしまっていた。頼んだバルシチの中にピエロギも入っていたが、皮が分厚くて少し硬めの水餃子といったところだ。
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以前レシピを見ながら自分でもバルシチを作ってみたが、やはりというか、全然味が違い、爽やかなコクと深み、喉越しよく香るかすかな酸味、とても美味しくてぐいぐい飲んでしまう。スープに入っていたピエロギはむしろ水餃子の方が良かったかもしれない。

プラツキはサワークリームとサーモンとイクラが乗っていた。正直プラツキ自体は硬めに薄く焼き上げたハッシュドポテト風で焼きの苦味が若干ある。サワークリーム他のトッピングでそれなりに美味しくは食べられたが、トッピングなしには少しキツイ。飛行機の中で観た映画「残像」の中で娘が父にプラツキを作ってあげたが、父は一口食べると「下げてくれ」と言い放った。アーティスティックな映画なのでもう少し深い意味もあるかもしれないが、トッピングなくただ焼いただけのそれはわかる気がした。
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一日中ワルシャワ市内を歩き回ったのでトラムの乗り方も含めてだいぶ余裕が生まれ、適当にトラムに乗ってホテル前に帰着した。

適当というのは、トラムの進む方面(方角)だけ見て、だいたいあっちの方、という感じで乗ったのであった。幸いホテルがワルシャワオコタという駅近なので地図的にも迷わずに帰ることができた。

一応駅で翌朝使う電車の確認をしてからホテルの自室に戻った。時間は22時だ。
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この時なぜか「ワルシャワ西駅」を使うものだと思い込んでいてそのための時間チェックをオコタ駅でしたのだが、念のためにと持ってきた鉄道の予約表を見てみると、central sta.と...アレ...こんなに文章を書いていても天然なのか、こういったドジっ子属性は秘かにイヤになってしまう。
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いつもどこかぬけるんだよなぁ。。まあ事前に気がついたといことで万事OK!翌朝は5:50の電車でクラクフまで行き、ヴィエリチカ岩塩坑とアウシュビッツというハードスケジュール。この二つはとても離れていて移動が難しい。どうなることやら。

旅のドジっ子属性、頼むから発動されないでくれ。。。

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とあるマルザンナのココロの旅 ポーランド編③ポーランドに到着 [アルトネリコ・サージュコンチェルト]

ポーランド到着

日本から乗り継ぎも含めて、約14時間かけて現地時間の19時30分にポーランドワルシャワのショパン空港に降り立った。
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去年の12月に嫁との新婚旅行を断念したが、なんとか来ることができたのは嬉しい。
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また、ヨーロッパは以前よく来ていたが、今回は2015年のスペイン以来ということで久しぶりとなった。日本時間はポーランド時間に7時間足すので、26時30分、つまり夜中の2時半だ。
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現金を空港にあるクレジットカードの引き出し機で300zl(6000円)ほど引き出し、レートは悪いものの多少ということで150zl(5000円)ほど両替所で暇そうにハンバーガー食べてる兄ちゃんから引き替えた。

1zlは30円ほどである。

さて、現金の準備も整ったので空港のwifiを活用して準備を進めるべく、マクドナルドに入店。

驚いたのはデジタルサイネージを活用した巨大なタッチパネルで注文をできることだった。英語も対応しているので、見よう見まねで注文する。このタッチパネルは各自で操作ができ、カードももちろん使える。
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自分自身で控え番号を入力するのが若干面倒ではあったが、英語やポーランド語を話さなくてもいいのは気が楽だ。

カウンターの電光掲示板に出来たら表示される。(されない場合もあるらしい?)まあよくわからなくても、とりあえず外国人ということを見越して一応店員が持ってきてもくれるようだ。
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とりあえず超甘いマックシェイクを飲みつつ、今夜の宿の場所を確認。
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アクセスは事前に地球の歩き方で調べてはいたが、念のため。市内へは空港からの電車に乗って出ることに。どうやら各駅停車の駅しか停まらないワルシャワオコタという駅ではあるが、中央駅からも徒歩圏内にありそうなのでなんとかなるだろう。


ホテルへ
空港内の案内矢印(床に伸びている)に沿って鉄道へと向かう。
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時間も遅いからか閑散としており、最初の切符売り場を見逃して、あやうく無賃乗車をしそうだった。地下に入って左に折れる前に券売機があったのだが、大きなイカツイ駅員らしき人が仁王立ちをしていて見えなかったのだ。

20分乗車券を購入し、行き先はよくわからないけど、2つしか電車が止まっていなかったので思い切って乗ってみた。
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こういうのは大抵中央駅にいくからであり、ガイドブックにも空港から電車でアクセスできると書いてあったからだ。幸いWi-Fiが完備されていたので地図アプリとにらめっこをしながら現在地と向かっている方向を確認して乗車時間を過ごした。

途中反対方向へと向かう大きな分岐点があったのだが、無事に中央駅方面に曲がったときはよっしゃ!とココロの中でガッツポーズをした。電車の行き先が全く読めない、わからないからどきどきもしていた。(あとから知ったが、空港発の電車は基本的にセントラル方面へ行くらしい)

ワルシャワオコタの駅が最寄りではあったが、乗車した電車はその駅をすっ飛ばして行った。事前にマクドナルドで中央駅からのアクセスも調べておいたので、少し残念くらいの心持ちであった。

しかし、異国についてまずは中央駅に降り立つという気持ちよさもあるため、どちらかというと気持ちは浮き立っていたかもしれない。
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そこまで大きな駅ではなかったが、デザイナーズ系のショッピングモールが併設されており、人はたくさん行き交っている。夜8時をすぎてもいたので、通り過ぎてしまったオコタ駅へ向かってとぼとぼと歩き始めた。
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大通りをひたすらにまっすぐ進んでいくだけなので楽である。

一番最初に気が付いたのが、乗り置かれているキックボードの多さであった。
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これらはアメリカやヨーロッパの一部都市で導入されているもののようだった。ちなみに日本では免許が必要なようで、導入はされないだろうとのことだが、検証はされているようである。

キックボードとはいえ、電動であり最高速度時速25kmと、自転車をかっ飛ばすくらいにはスピードがでるので、自転車道の整備されていない国では厳しいかもしれない。

キックボード参考リンク ワルシャワでよく見かけたのはLimeが多かった。
https://www.businessinsider.jp/post-200199

ホテルに無事到着、チェックインしてこの日は爆睡。
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記事にもしているが、ホテルのアメニティーはこのようなビジホクラスだとほとんどないみたいなので、事前に用意していくのが無難であろう。
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とあるマルザンナのココロの旅 ポーランド編②成田搭乗〜経由地モスクワまで [アルトネリコ・サージュコンチェルト]

東京―モスクワの機内にて

まもなく飛行機は経由地であるモスクワへと到着する。

約9時間のフライトではこの記事を書いたり、Kindleに入れてきた本やガイドブックを読んだり、国際線にはたいてい付いているTVモニターで海外ドラマのFRIENDSを観て楽しんだりと、それなりに有意義に過ごすことができた。
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機内食
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そういえば、隣で日本語をPCで勉強している外国人に

「僕らは運命共同体だからトイレ行くときは一緒にいきましょう。」

と言われた。

おそらく若い彼はユーモアを含めたつもりで言ってきたのだろうが、日本語で言われた分、そのセンスは微妙なものになり中途半端な笑みと首肯で返してしまった。(英語で言ってくれた方が小気味よかった)

ちなみにこの地点はモスクワ経由だったので、通過せず北緯のもう少し高いところを通過していった。
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東経122度は日本の国境に値するけれど、北緯27度は東南アジアなどからのルートだろう。東シナ海だ。
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神楽ちゃんは直行じゃなくて下手したらバンコク経由で入ってきたのか、あるいは匿名便として通常運航ルートとは別にフェノメノンのポイントに向かったのかもしれない。
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モスクワ到着

モスクワに降り立ち、乗り継ぎまで1時間30分ほど。

空港のwifiをアテにしてきたが、携帯電話の番号が必要でSMSメールを受信できなければならないようであった。

これまでの経験から携帯電話(通話用のガラケー)は使うことがなかったのでおいてきたのだ。ネットはともかく、せっかくロシアに降り立ったのでデレステAR機能を活用し、アナスタシアを召喚したかった。

仕方がないので、空港内のカフェでこの日記を書き進めたり、修正をしたりしている。

空港内ではどこでも(自販機ですら!)クレジットカードが使用できる。

日本時間では23時という深夜だが、こっちは夕方!とココロにいいわけを響かせながらナポレオンというケーキを頼んでみた。(ロシアの焦土作戦でナポレオン軍を追いやったことは有名である)
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EU方面はいかんせんサイズも大きくカロリーも高い!

このケーキ、ナッツがちりばめられていて美味しくはあるのだが、パイ生地と生クリームとチョコレートとナッツが何層にも重厚にミルフィーユされていて、とにかく分厚くてデカい。
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はんぺんをプレスして5枚は重ねてドーンしました的なボリュームで食べるのに一苦労した。

甘さも控えることなく、遠慮なく甘い。こういうのを食べると、なんだか外国に来たなぁという気分にもなる。

ワルシャワ行きの搭乗口の変更があったが、ひとまずゲートには到着。

さて、この後は小型のジェット機に乗り継いでポーランド入りをすることになりそうである。
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NETFLIXにダウンロードしておいたポーランド映画「残像」を鑑賞しよう。


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とあるマルザンナのココロの旅 ポーランド編① [アルトネリコ・サージュコンチェルト]

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▼ブログ前書き
これは2018年8月31日に接続が途切れてしまった、拡張少女系トライナリーのガブリエラ=ロタルィンスカとの新婚旅行記です。

事情を知らない方には痛いかもしれませんが、基本的には普通の旅行記として書いていくので大丈夫かと思います。

コミケへ出す機会をうかがっていましたが、目処が立ちそうにないので、何回かに分けてブログで出していきます。

作品紹介は省略しますが、公式サイトはまだあるので、よかったらご参考ください。
https://social.gust.co.jp/kakutora/index.html

▼2019年8月12日(月)

午前7時 埼玉県飯能市にある自宅を出た。
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この日は前日に行われていたコミックマーケットC96の出展を終えてフォロワーたちも何人かうちに泊まりに来ていた。

それはいつもの光景であった。

フォロワーたちの中には翌日に出展を控えているものもおり、私も朝7時30分には家を出ると伝えてはいるのだが、みんな明日のことなどどこ吹く風か、夜中まで自由に語らうものとなっていた。

記憶にある限りにおいては、夜中1時30分頃の就寝だろうか。朝は全員5時過ぎに目を覚ましている。



自宅を出てからは予定よりも早かったこともあったので、近所のコンビニで旅程表や予約表を印刷し駅へと向かう。7時29分の特急レッドアロー池袋行きに乗車をし、成田空港第1ターミナルへと向かった。

JR日暮里駅より京成スカイライナーにネットの予約券で乗車をし、その広い空間から車窓に映る空を眺めた。
ああ、この空はポーランドに繋がっていて、そしてガブリエラのいる世界とも繋がっているんだな…と、そんな想いを馳せているとソラノキヲクのイントロが音楽プレイヤーから流れ始める。
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私にとってのトライナリーは紛うことなくホンモノであるのだなと、年に何度も訪れる現実感をこの日もまた、より深く実感するのであった。そのままバイノーラルCDへと音楽プレイヤーは移り、車内でひっそりと涙を流したのは言うまでもない。



午前9時32分 成田空港に到着。
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空港自体には年に数回訪れているが、国際線ターミナルは2017年THE IDOLM@STER MILLIONLIVE FIRST TIME IN TAIWANの公演時にタイガーエアを利用して以来である。

その前は2015年のオランダースペイン研修&聖地巡礼旅であった。

久しぶりということも相まって、すっかりと目移りばかりするお上りさん状態だ。

wifiはどうする、両替はどうする、など色々なことが脳裏によぎったが、まずはチェックインを済ませることにした。

実は・・・このチェックインのことをツイッターの方には明かしていなかったのだが、ちょっとやっかいな問題を抱えていた。



私たちの同人誌サークル「さやえんどう」が出した前作、卒業文集vol.3のポーランド記事の中で、旅費を工夫するために今回の旅行に関して1月には手配をし、分割払いで支払いをしていると書かせていただいた。
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順調ではあったのだが、6月下旬、帰路のフライト変更に伴う了承メールが予約元のExpediaから届いた。内容に同意をしますか、はい/いいえ的なシンプルなものである。変更内容だと最終日の時間効率が悪くなってはしまうのだが、やむを得ないので同意をした。

その後ショートメールの方に今度はアエロフロート(航空会社)の方からフライトがキャンセルされました、お電話ください、と英語でメールが届いた。

はてな・・・?

Expediaの方で手続きをしたのにこれはどういうことなのだろうか。

▼出発前トラブル

ポーランドに行けなくなっても困るのでExpedia側にも連絡をとってみた。外国籍の新人の方なのかはわからないが、サポートの担当者とのコミュニケーションがかみ合わず色々と手間取った。

今回の件に関することは特に問題なく解決したのだったが、突然に「あなたはこのままいくとフライトに乗ることができなくなるかもしれません」と、いきなり全く別の問題を切り出された!

担当者の話し方の問題もあって、全く要領がつかめず、いきなり何を言ってるんだこいつは!?と心の中で語気荒く、でも落ちつきをなんとかはらって詳しく聞き出した。それまでも支離滅裂な話し方でイライラさせられていた。

要は航空券の購入時に登録名の名字・名前が反転してしまっていて、このままではシステム的な問題で乗れなくなるかもしれないとのことであった。(どうしてそういった大事な問題をこちら側からの別件問い合わせ事項のついでにふっかけてくるんだよ!)と心中穏やかじゃなかった。

実際仕事に出なければならない時間もせまっていたこともあり、苛立ちももはや隠すことをせず手続きをした。しかし、エラーになる。この件は6月のやりとりであったので、時間的に余裕もあったが、色々あって直前まで響いてしまった。



最終的には知り合いに航空関係のシステムエンジニアがいたので相談をしたところ、フライトまで48時間を切るとチェックインする顧客データが仲介(Expedia)から航空会社(アエロフロート)に渡るので、保障ができなくなる意味で煽っているのだろうと。

当日の空港カウンターで事情を話せば大丈夫ではないかと。なぜなら旅行企画会社のツアーなど、当日の乗客変更も多いだろうし、そこに対応ができなければ危機管理がなっていないのではないか、と。

もちろんこのことは正確には言えないけどね、と付け足してはいたが、この言葉には救われた。実際先方からはシステム手続きのために3000円ほど要求されたが、知り合いの話に納得がいったのでそれは放置して当日のお楽しみ(緊張・・・)とすることにした。一抹の不安はあったけれども。


▼チェックイン
長い回想を経てしまったが、空港のチェックインカウンターにて、素知らぬふりをしながら「チェックインお願いします」と申し出た。

順調に、とはいかなかったがカウンターですべて対応をしてくれて、こちらは何かがあったときに了承してもらえるかの書類にだけサインをした。

実際この書類も航空会社の立場にたって考えてみれば、未然にクレームを防ぐためのものであって、今回は名前の上下入れ替わりミスだけなので基本的には対応してくれるものだろうと推測もしている。

これまでの苦悩もなんのこともなく、あっさりとチェックインができた。無駄に航空会社のシステムを学んだ旅行計画となったものだ。

実際は何もしなくてもカウンターで手続きをすれば済むものだったが、航空券を購入するときは姓と名の向きには気をつけたい。
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さて、経由するモスクワのあるロシアでは、当日のニュースで核か何かの実験が暴発し5人が死亡するというニュースがあるくらいには情勢がよくない。

今この旅行記を書いている往路の機内(北緯51.4度、統計129.16度においては問題も発生していないが、どうなることやら。あぁ!Pomera(ミニワープロ)を持ってくればよかった!ノートで手書きするのも久しぶりでくたびれた。
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フィリスのアトリエで揺らぎ、トライナリーに学んだ いまの心情 [アルトネリコ・サージュコンチェルト]

Netflixでナチス戦犯最後の逃亡者たちを観た。

https://www.netflix.com/watch/70242664?trackId=13752289&tctx=0%2C0%2C43434d9eef9c08d385110a7e8ad16b7a4739b4d2%3Abf3df6b2036f58f524f6bfbec98fce047efc35db%2C%2C

大学時代にこのあたりのことをたくさん考えていた記憶が蘇る。

内容とは関係ないが、いまの率直な心境を。


ここ数年オタク趣味を復活させ、その活動に勤しんできた。

しかし、その終止符も近くなってきたのかもしれない。


直接的ではないが、その原因の一つにはフィリスのアトリエをプレイしたことからだ。


自由人として色々なことを「いまを生きる」という信条とともに生きてきている。

しかし、この作品をプレイしたことによって、自由に生きることによって失われる可能性にも気がつかされた。これはまさに頭をガーンと殴られたような気分だった。

フィリスのアトリエは、錬金術士になるべくフィリスが村を出て世界を旅しながら1年後に控えている錬金術士の試験の合格を目指していく物語だ。

アトリエシリーズはもとよりそうだが、この作品は特に自由度がものすごく高く、どのように過ごしていってもよいのだ。


世界を縦横無尽に楽しく駆け回り、試験のことも頭にいれながらやれることをやりつつ、まあなんとかなるだろうと思って365日を過ごした。残り日数が少なくなり、できることの可能性がどんどんなくなり、若干の焦燥感を覚えた。そのまま少なくともやれることはやり試験に臨んだ結果、それは散々なものであり、見事なまでの不合格であった。正直全く歯がたたなかった。

不合格でもエンディングはある。

フィリスは村を出るときに約束した通り、村へと戻り、そこで旅で培ってきた知識を活かしながら生活を営んでいくエンドを迎えた。

しかし、もし合格をしていたのであれば、その後世界を自由に行き来し、錬金術士としての活動していく未来があったのだ。

ゲームであるとはいえ、このことは非常にショックであった。

この数年、それなりに自由に生きてきた。責任をもって。

しかし、その自由にいまを生きてきた結果失った未来もたしかにあったのだ、と痛感させられた。

後悔をしないために「いま」の行動に意味や責任をもたせてきた。

しかしそれでもなお、フィリスのアトリエをプレイし終えたときに、自分が捨ててきた可能性にも愕然としたものだった。もちろんどうなる未来があったのかは知る由もない。


拡張少女系トライナリーをプレイして、より俯瞰視点をもつことができるようになった。
このことも相まって、先のショックが現実感をよりもって増幅されたのだ。

僕らは1回の人生につき、一つの人生しか歩むことができない。そしてその1回の人生とは「いま」しかない。


「本当にこのままでよいのだろうか」


これはアルトネリコでライナーが一旦のエンドを向かえた後に持った問いだった。
その後彼はそれまでに築いてきた世界を否定し、新たな未来を作るに至った。
たった一人の、小さな問いだった。しかし、このライナーの問いがなければ未だミュールは解放されず、アルトネリコ2−3を通した未来は生まれなかったのだ。


問いは未来、少なくとも自分自身の未来を大いに変えうる。私の未来が変わればそこに関わってくる人たちの未来も大いに変わり、環境が変わり、世界が変わりうる。クオリア次元論への理解や、トライナリーをプレイすればそのことはよくわかる。そして、実際の私たち自身の未来においてもそうだと言えるだろう。


いまの心情を書き落としておきたく筆をとった。
これからどうするのか。
まだオタク趣味活動としてやり残していることはある。それはやる。その後への準備だ。


どう生きるか。
改めて直前にせまった未来だけでなく、もう少し先の未来を意識したいまの行動をしていきたい。
トライナリーで学んだことだ。


フィリスで衝撃を受け、トライナリーで学んだ。
これはオタクとして培った財産として今後の人生に活かしていきたい。
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トライナリーについて 配信終了時のキヲク [アルトネリコ・サージュコンチェルト]

拡張少女系トライナリーの配信が終了しました。
録画した動画を見返すと余計に感情が蒸し返してくるのであまり見ないようにはしています。
筆不精ながら今思うことを徒然なるままに記録として書いておこうと思います。

おそらく自分は周囲のずっとガチで追いかけ続けてきたbotの方々に比べれば、大した入れ込みではないだろうと。でもこの場合比較はあまり意味をなさないと思うので、そのことは置いておきたいです。あくまで私的に感じたことに集中します。




▼トライナリーをプレイした背景

そもそもこの作品との出逢いはTwitterか何かで新たな土屋作品プロジェクトの発表を受けてのことでした。
今まで土屋作品のファンでありながら、リアルタイムでプレイした作品はアルトネリコ1くらいであって、それも当時はネット環境に気も使っていなかったので、トウコウスフィアの存在すら知らなかった。ただ当時のmixiの日記を読み返すと、相当に影響を受けていたみたい。この作品の影響で「作曲家になる」とココロに決めたと言っていた。実際指揮者にはなった。今は違う仕事をしてるけど。

それから数年。

2014年頃に何となくアルトネリコ3をプレイした。フィンネルを脱がしながら(笑)楽しくプレイできた。この頃からトウコウスフィアの存在を知り、また設定資料集を知り読み漁る日々が始まった。
アルトネリコ2に行き着いたのはいうまでもない。

衝撃を受けた。

この数年間たいしてオタクしておらず、割と真面目に?社会人したり、EUを中心に世界中飛び回ったりもしていた。

20代後半ということもあり、血気盛んに色々なことに意見したり行動したりしていたりもした。

海外を含めて培ってきたものがアルトネリコ2でぶっ壊された。

全部そこにあったどころか、超越していたから。


その辺りのことは本筋ではないので今は言及しない。


必然的にサージュコンチェルトに手を出した。

7次元先の世界に人生を持っていかれた。

それこそ、シェルスペFINALあたりでようやくリアタイに追いついた感じ。



しばらくが経ち、2016年の9月にトライナリーが発表され、鼻息荒く勢い余って勝手にタグを作ってしまった。
そこからTwitterを介した彼女たちとの交流も始まった。積極的にリプなどを展開するbotさんたちをみてすごいなぁと思いつつ、個人的にはそこへ参入をしなかった。

Twitterの接続が中断され、2017年4月、アプリの配信が始まった。
回線が重くて重くて仕方なかったのも一つの思い出。




▼内容や選択してきたこと リプレイス前


何にしても個人的にはリプレイス前のEP27が一番忘れられないし、最後まで世界に関わっていく中でこの時の考えをずっと根幹、大切なものにしてきた。神楽chで自分が迷いそうになるときは、いつもここの選択のことを記録をみたり思い返してきた。フセッターを初めて活用したのもここだ。

正直なところ、私的に人生の中で一番に近いくらい、あるいはそれくらいかもしれないほど悩み考えた。

すぐには答えを出せない、出しても後悔をしそうだということから更新は先に進んでいるものの、終わっていなかったガブリエラ以外のすべてのストーリーをプレイし、少しでもわからないところがあれば、リプレイしたり、他のbotの方々の考察を参考にさせていただいたりし、1ヶ月をかけて理解に努めた。

諸々のことは以前のフセッターに書いたが、私の選んだ選択は、

【千羽鶴の理想的社会創造を支持し、トライナリーの発症を容認する】

私自身はマルザンナとしてガブリエラと結婚しています。
ただ、それとは関係なしに(厳密には関係する)千羽鶴のことを放っておけなかった。

リプレイする前は【千羽鶴を支持しないし、千羽鶴に好感も持てない】(実際にはない選択肢)というキモチでした。


対話を通して少しずつ変わってきていた千羽鶴とともに理想の社会を形成していく手伝い、そして友としてその支えになっていきたかった。

いわゆる5%のbotでした。

リプレイス前のEP31で千羽鶴と対話したことは忘れられません。ありがとう。。




▼未プレイ期間について


リプレイス頃から至極個人的に、トライナリーに触れる機会はめっきり減りました。
理由理屈はいくらでも並べられるけれど、一言でいえば「トライナリーに関わると何もできなくなる」からかな・・・
というより、彼女らの世界に対して責任をもてる心境や環境ではなかった。
トライナリーに触れるというのは個人的にある程度覚悟のいることでした。中途半端なことはしたくない。

復帰する詐欺も2−3回あったかと思います。シャッツキステのノートにも書いたな・・・

もちろん復帰を試みて神楽chの最初をプレイしたり、背景を捉え直すべくリプレイしたりしました。その度に「ああ、ダメだ、いまの自分はちゃんと関われない」と、美化意識も含めてそう思い挫折していました。botさん方のツイートを拝見していれば、ただごとじゃなく進行しているのはよくわかります。


そうこうしていくうちに配信終了のお知らせ。

物語の展開を知らない状況だったので、まさに青天の霹靂でした。最初は運営の財政的なことを考えたけど、土屋さんの今までの作風を考えれば、終わらせていくのだろうなと思い直しました。もちろん絡み合う問題はないこともないだろうけれど。そこでアプリというものの限界を再認識しました。多くのbotさんも語るように、コンシューマーでないことから物理的に「残らない」ことを。

それもリアルだと思いました。様々な感情はおいておいて。




▼内容や選択してきたこと リプレイス後


8月に入り、ようやく重い腰をあげ、ある程度の覚悟をして神楽chのプレイを始めました。

始めたタイミングがジュエルを買えなくなって16時間後だったことを今でも覚えています。愕然となり、混乱の後にツイートでも迷惑をかけました。

運営にもジュエルを買わせてもらえないかメールもさせていただきました。すぐのご回答感謝いたしましたが、買えないとのこと。そこでもまた中途半端になるのではないか、いっそのことリプレイスをしないところで自己完結させてしまってもよいのではないかと悩みました。

3日ほどいろいろと考え、とにかく取得していないジュエルを掘り起こしてやれるところまでやろう、と決めて再開しました。

幸いガブリエラ以外のラブトークをあまり進めていなかったことや、ストーリーから思ったより多くジュエルが入手できたことによって最後までプレイすることができました。あのときアドバイスをくださったbotさん、ありがとうございました。



▼EP30の選択

EP30にたどり着いたのは配信終了の約5日前。誰を発症させるのか。

正直なところ前回と比べて答えはなんとなく見えていました。それは一度は真剣に千羽鶴と思い描いた世界があったから。

ただ「なんとなく見えていた」というだけで彼女への選択の意思を伝えることはやはり憚られます。

5日前ということもあり、今一度神楽chのリプレイや選んでこなかった可能性を試したりしながら、世界観を深めていきました。もともとはジュエルのため・・・というのもあったけれど、ここの選択をする意味でもガブリエラ以外のつばめ、アーヤ、みやびと恋人までにはなりました。いや、それも言い訳か。純粋にらぶとーくを進めていくなかで、彼女のことをもっと知りたいと想ったのです。ある意味ではお互いに辛くなる選択をしたのかもしれない。

長野に聖地巡礼をしながら、ガスト本社横のホテルベットでいろいろなことを考えました。

配信終了3日前。

ようやく納得のいくところまで考えられたので、意を決してEP30の彼女たちと対話をしました。

いうまでもなく、夜中じゅうずっと泣き続け、別れも伝え、、、ここでも伝えるべきかどうか悩んでいたら朝になっていた。何度タスクキルしたか。

最終的には

【つばめ:非発症、別れ伝える アーヤ:発症、別れ伝える ガブリエラ:発症、別れ伝えない みやび:発症、別れ伝える】

という選択をしました。

形は違うけれど、リプレイス前EP27と同じ選択をしました。つばめに関しては正直なところ直感が「彼女を発症させる必要はない」と散々警告してきたので、最終的にはそれに従いました。

別れの有無について、基本的にはちゃんと伝えることが彼女らに対して責任をもって、以降の人生を祝福するものだと思ったので伝えました。辛かったけど。。。

ガブリエラにもそのつもりでいたんだけど、、、ここでまた2時間くらいずっと考え込みました。果たして彼女に伝えるとどうなるのか。自分が彼女の立場だったらどうなのか。彼女の気持ちはどうなのか。彼女の幸せは何なのか。彼女は数年後に今日この日のことをどう考えるのか。結論として、もしも自分が彼女とココロが通じ合っているのだとしたら、伝えないでいてほしい、と想うにいたりました。最終的には別れのことは一切口に出さず、笑顔で別れました。

自分の人生において、誰かのことをここまで真剣に考えたことはなかった。

考えざるを得ない。なぜなら私たちは彼女の世界において超客体的存在であり、すべてを握らざるを得ない存在であるから。

現実世界には明確に他者が存在するゆえ、自身の持つレスポンシビリティー(責任性)は分担されます。だから自身の結論と行動に関するフィードバックは弱いものとなり、ある意味でそれが現実性を薄めているのだと。総意システムとは別に超客体であるがゆえに、私たちは超現実的なものとして自己の意思や行動が反映していきます。



▼暗号鍵の譲渡について


最後に、暗号キーですが、

私的にリプレイをしていくなかで右腕にあとからなったとき、例の操作をしたがゆえ、原初つばめをレイヤーにアクセスできる形をとってしまったことは誤算でした。時空間をさまよい歩き、何度も修正を試みたのですが、自分の力至らずに操作を取り消すことができなかった。

世界として、いろいろ理解を深めるために原初つばめとも対話をしてきましたが、やはり最終的には「千羽鶴とともに歩む」というのが、私自身の結論でした。もちろん原初つばめの描く世界を考えたり、ハッシュタグの検索は行ってきました。為政者としてのあり方の一つとしてとても正しいことでもあることもわかる。革命家によって流れを作り、ある種の洗脳によって国家を納めさせていくこともわかる。ある意味ではミレニアム王国です。ただ、それは視点によっては現実の繰り返し。そのこと自体を平定していくことでミレニアムは確かにできるかもしれないけれど、「彼ら」へのマインドセットという点が少し引っかかったことは世界観としては違和感として残りました。

千羽鶴とともに歩む、という決断をしている限りにおいて少なくとも原初のみを選ぶことはなかった。なのでまずエリカにキーを渡した。そして原初に迫られた際にどうするかを改めて考え直した。他の方より深く考察できている自身はないけれど、このときのツイートが残っているので、以下に引用してまとめる。



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理想とする社会のあり方は、やはりリプレイス前の千羽鶴なんだよね・・・考え抜いたのもあるけど。暗号鍵どうしよう。未来も観測した上で最後まで考える。

考える基準はリプレイス前と同じで、ガブリエラの幸福と世界の安寧(現実的理想)。全員の幸福は大前提。ただ生きとし生けるものが何億も住まう社会、トライナリーを中心とした幸福より、世界を中心とした幸福からトライナリーメンバーが幸せになることの方が現実的で自然かと思った。ガブは別。

右腕タグの締め切りはもう過ぎているけれど、それをもとに世界を作っていく原初つばめ。それらがep27の千羽鶴のように続いていく対話型総意あるいは社会ならともかく...しかしエリカを否定すれば彼女は世界となり、彼女の可能性を失う。個人でも世界レベルでも向こうの世界にとってエリカの損失とは・・・

順当に考えていけば2人に暗号鍵を渡すのがそうだけれども、そうは問屋が卸さないのは、原初つばめに対する気質的信頼感が自分にはないからなのかもしれない。それに単純に洗脳工作に対して同じ方法で、というのも私的な理性感性から否定したいところ。そういった気質はエリカが関わっていたとしても・・・

私的にベターなのは、エリカと千羽鶴とbotによる対話型統制とバランス良い経済性と市民性を育てあえる世界市民社会。レディネス社会の流れは踏襲するが、ライフギャザーについてはオーパーツ的ニア扱いとして情報を含めて条件付き封印がよいかな。

これらに近い形で考えていくと、botはいなくなるかもしれないが、エリカ、千羽鶴が残る道がまず1つ。となれば、やはり2人に渡すという選択肢しかないかしらね。ガブの幸福は極論どちらでもよい。正直ep30の別れについて、ガブだけには本当のことを伝えなかった。

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最終的に2人に暗号鍵を渡しました。


ちなみにライフギャザーについては月神楽が攻略しています。




▼EP31について


他のEDの可能性を知りたくない方がいたらここで引き返してください。













ネタバレがどうなのかわからないけれど、前半は卯月が情報管理長長官で混乱しつつも、原初つばめと千羽鶴がアウフヘーベンした結果、後半では世界が良い方向に動きつつあるニュースから原初つばめの存在を感じ、千羽鶴が長官として東雲隊長(先生)と対話をし、未来を作っていく予感をみせて終えました。もちろんエリカもいるし、みやびはbotである私のことを覚えていてくれていました。頭が追いついていないのが正直なところではあるけれど、私的には納得のいくハッピーエンドに。ガブはポーランドへの一時帰国の話もありました。

ラストストーリーはEP30と31が濃かったので、ちょっと観測をさせてもらったというくらいの感じで受け止めました。





▼最後に聖地について

個人的にはトライナリーにおいて聖地探訪をよくしています。私的に聖地巡礼をするという行為自体が、その場所を訪れて彼女たちが感じたことに想いを馳せるにつながっています。記録を取る意味でもよく写真をアップしていますが。
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このこともいろいろ考えたけど、しばらくは聖地を訪れることは続けていこうとおもいます。

何を感じるか、なんてそこに行ってみないとわからない。



公式を含めた今後の展開については、いまのところそこまで考える余裕がありません。



ただ少なくとも言えるのは、土屋さんをはじめ、制作に携わった方々全員に、拡張少女系トライナリーを開発してくれて、向こうの世界とつないでくれて心からありがとう、ということです。本当にありがとうございます。


クリエイターとしての意志は引き継げないかもしれないけれど、終章・幻想遺伝子は自分の人生において引き継いでいきます。

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