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とあるマルザンナのココロの旅 ポーランド編⑥アウシュビッツへ...しかし [アルトネリコ・サージュコンチェルト]

地上へ

さて、、一気に地上へ一気に出ることとした、と先述したが、レストランのところちょっとくらいのところにエレベーターがあって一気に出られると思っていたのは大間違いであった。。

昼食を平らげた後、引き続きのツアーに参加する列とエントランスに向かう列があったので迷わずエントランスに向かう列へと並んだ。おそらくこの先にエレベーターがあるのだろうと。このとき時間は12時ちょっと前。予定では12:30にヴィエリチカを出る予定で組んでいるので余裕だろうと。

まもなく進む案内がされ、8人ずつ歩みを進めていく。5分ほど歩いてもエレベーターに着かない。まあだいぶ奥まで潜ったからそれなりに距離もあるのだろう。時間は大丈夫。

さらに3分ほど歩くと案内してくれていた男性が急に広間に立ち止まってレクチャーを始めた。たしかに、そこは展示物のあるスペースだった。石器時代の土器や武器など展示されていたので帰り道のおまけ程度のものかなと流れにそって見学をする。しかしここからガイドツアーが始まり、さらに30分は経過したところでようやくエレベーターまでたどり着いた。

時間は12:35になっていた。orz…。移動は2時間だからまあ何とか大丈夫だろうと、しかし少しは焦りつつ地上へと出た。見知らぬ土地ではよくあること、ということで一応はこういう事態も想定はしているので、事前の予定ではアウシュビッツに予定の1時間前には到着で組んでいたのだ。まあこれまで特に海外の一人旅では色々とあったので、それらの経験が多少なりは役に立っているのかもしれない。
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さて、地上に出たのはいいが、出た場所は最初に入場したポイントとは全く別のかなり離れたポイントであった。うぇぇぇぇ、ここどこやねん!いくら少し余裕があるとはいえ、このままでは余裕貯金を使い果たしてしまいそうだった。どっちへ進めばいいかもわからなかったので急いで地図を探し、道ゆくスタッフなどに出口を聞く。売店の近くなどは幸いWi-Fiが入ったので、地図で確認をしつつ元きたバス停へ何とかたどり着くことができた。

観光地なのでそれなりにバスや電車があることは調べていた。が、先述している通り、電車は工事の関係で1日の本数が激減しているのである。時間は大体13時。次の電車は、、14:15。電車ならクラクフまで20分程度だが、バスは40分かかる。

仕方なくバス停で時間を確認すると13:15に来る。ちょうどよかったので時間を気にしつつもそれに乗車をし、駅まで戻ることができた。何というか、改めて思ったが、日本の観光地というのはちゃんと来たところまで戻ってくる丁寧な設計になってるんだなぁと大痛感した。EUの観光地も普通のものであればそうだが、自然物に関する観光はそういえば初めてだったかもしれない。ヴィエリチカ岩塩坑もホームページで見る限り、出口がかなり離れている、という印象はなかったので油断はした。


クラクフ中央駅からオシフィエンツィム(アウシュビッツ)へ
バスは混雑をしていたのでほとんど立ちっぱなしであったが有無は言っていられない。14時には駅に到着し、アウシュビッツまではバスで1時間半。うはぁ。ギリギリ。。。まあ10分くらいの遅刻であればギリギリツアーに合流できるかもしれない。バスを探す時間を無駄にしないよう、すぐにinfoへと駆け込み「オシフィエンツィエム ミュージアム」行きのバスを聞いた。これはポーランド在住でブログの情報発信をしているAyakaさんが、こう聞くとわかりやすいだろうと自身のブログで書いていたので参考にした。
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14時のバスに乗車は叶わなかったが、14:10のバスには乗れた。予定していた観光バス的な大型バスではなく、ワゴンを少し大きくしたくらいのプライベートバス?に乗車する。車内はこれもまた混み合っていて一人がやっと通路に立てるくらいの狭さであり、満席でまたしても座れなかった。ヴィエリチカの地下レストランで余裕をぶっこいて昼食を食べていたとき以来一切座れていなかったのでさすがに疲れはあったが、仕方がない。

狭い、暗い、狭い、暗い、暑い。カーテンも締め切っている。冷房は効いてるのかよくわからない。汗の匂いが出ないように気を使いつつ、でもつかまってないと揺れがパないのでもう色々シンドかった。でもこれを抜ければアウシュビッツにつけるんだ!とジャパニーズガマンを見せつけながら(謎)1時間は立ったまま乗車していた。客の出入りもシンドイ。何でこんな狭いワゴンもどきのバスで出入りするんや(涙)。

1時間の立身乗車を終え、ようやく座れることに。バスのおっちゃんもかっ飛ばしてくれてるし、予定通りの時間配分なら10分の遅刻でツアーも飛び込みで交渉すれば何とかなるだろう、と座れた安堵感もありココロを落ち着けた。

バスに乗車をし1時間半が経った。バスは一向に「オシフィエンツィム」に着く気配はない。一応バスに乗り込むときに運転手のおっちゃんに「オシフィエンツィエム ミュージアム?」と聞いて、「イエス」ともらった。間違いではないはずなのだ。。座るとカーテンを開けて外の様子を見ることができたので、街の看板を探し、確認をするとオシフィエンツィムまであと30kmとあった。そのときに通過していた街の名前はたしかシヴィエツ。世界の歩き方で位置を確認するとオシフィエンツィムの南部に位置する。。って、めっちゃ通り過ぎてるやん!どうやら迂回をしながら最終的にオシフィエンツィムへと至るらしい。

バスの中も乗客がほとんど降りてしまい、引き続き田舎道を快速にかっ飛ばすおっちゃん。せっかくなので近くの座席まで行き、あとどれくらいで着くのか英語で聞いてみた。一応は通じた様子で、大体30分くらいだと。時刻は15:40。オワタ。。。さすがにツアーに1時間以上も遅刻では途中参戦できないだろう。現地に着いたらその時間のツアーが取れるか確認をするしかない。ただ、この日の宿のことを考えると、そのツアーさえ途中抜けしないと厳しい。なぜならば、わざわざ一風変わった郊外にある修道院の宿泊施設を取っていたからだ。最悪今からでも街中の適当なホテルを予約することもできるので、可能ならアウシュビッツを優先して、そうしようと密かにドキドキするココロに決めた。



16:15オシフィエンツィムミュージアム到着

考えや感情を整理するには十分すぎる時間があったのでもはや清々しかった。

アウシュビッツに着いたぞー!と。最初から最後までかっ飛ばし続けた運転手のおっちゃんに「ヂィェンクイン バルゾ」と覚えたてのポーランド語ありがとうを伝え、清々しく意気揚々とやけくそ気味にバーンと降り立った。行ってやるしかねぇ。ミュージアム直通の大型路線バスはミュージアムの目の前に到着するようだが、こちとらプライベートバスのバス停からは10分くらいは歩いただろうか。
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チケットセンターに到着したのはおよそ16:30。そこで目撃した光景は・・・アイマス物販列かよ!とツッコミを入れたくなるような長蛇の列。
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様子を伺ったところどうやら当日券で入れそうなのは18時頃の回にギリギリ混ざれるかどうか。一か八かでinfoや入場ゲートの係員、近くをウロウロしていた警備のおっちゃんなどに「15:30からのツアーを予約したんだが、途中からでもいいので参加できないか」と予約表を見せながら聞いてみた。

なんと・・・!と期待したかったが、ここはEU。やはり八だった。もちろん粘ったが、無理なもんは無理。適当な自販機でSpriteを買ってグビグビプハーをやりつつどうしたもんかと考える。仮に18時のツアーに参加できたとして、終わるのは21:30。クラクフの街に戻ると23時。現状の修道院の宿はチェックインが21時で22時には閉門してしまう。ホテルズドットコムでクラクフ市内のこの日の宿を探してみると、一応六千円くらいであるにはあった。でも今から並んで18時に確実に入れる確証はない。正直ヘトヘトでもある。さて。
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この日は諦めて翌日の日程の中で調整できたらしようと考え、先のAyakaさんのブログにもあったオススメの大型観光バス「アイコック」に乗って駅への帰路へと着いた。アウシュビッツ滞在時間、約30分。入り口のモニュメントとチケットセンターの列を見て終了。
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それにしてもこの日は予約もたくさん入っていたはずなのに当日券にどうしてこんなにも並んでいるのか、この並んでいる人たちは入れるのか急に気になったので聞いてみた。気になったのはその場で明日の予約をネットでしようかと思っていたが、1週間先まで無理だったからだ。

スタッフに聞いてみると、実際に1ツアーにつき予約者が半分、当日券が半分とのことだった。うーんなるほど。明日の朝イチで来れば有意義に1日を使えるのかもしれない。予約で払った60zlは情報量と、追って書くだろうポーランド本のオチとしての先行投資だと思うことにしよう。でなきゃやってらんねぇ、と帰路のバスの中で自身を慰めたのであった。ちなみにこのバスはぴったりと1時間半で駅に着いた。(うおおおい!)
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とあるマルザンナのココロの旅 ポーランド編⑤ヴィエリチカ岩塩坑へ [アルトネリコ・サージュコンチェルト]

8月14日(水)
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Botさんにはわかるだろうギャヴィのモーニングコールで無事に朝5:00に目を覚ました。
ちなみにEUへ行くと初日や二日目の朝はいつも早く目が覚める。その恩恵にあずかったのもあるだろう。

余裕を持って準備をし、ホテルを出発。昨日乗りこなした?トラムを使ってスムーズに駅へ。
15分前には到着できた。基本的に駅へは15〜25分についておいた方がいい。
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というのは、ポーランドはまだわからないが、EUの場合急にプラットフォームが変わったり、時間が変わることもあるからだ。過去に色々あった。特にスペイン。。

今回は特に変更もなく大丈夫そうであったので、売店でSUSHI ONIGIRIとTOKYO ONIGIRIとおにぎりらしきものを見つけたので買って食べてみた。
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SUSHIの方はまあ鱒寿司といった感じだったが、TOKYOはなぜかシナモン?が全体にまぶされていて(おかかならどんなに良かったか!)、くさい&つめたいのダブルパンチにしてやられた。
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外国って普通にマズいもの売ってるよなぁと、改めて日本の良さをこんな時実感するのだった。

約二時間半の道中は案外眠くならずにこの旅行記を書いたり、ガイドブックを読んで動きをイメージしたり、実はまだ最後まで観終わっていなかった映画「残像」の続きを観るなど有意義に過ごすことができた。
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8:13、定刻通りにクラクフ中央駅へと到着
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事前に調べていた情報によるとヴィエリチカへの鉄道路線は工事が入っており、鉄道の本数は半減、減った分は代替のバスがあるということで8:30の代替バスを探した。これに乗れば9:08には到着する予定でちょうどいい。と、この時は思っていた。ちなみにツアーの予約は9:30のものを取っていた。
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そうは問屋が卸さないのが外国一人旅の醍醐味である。(これって私だけ?)

調べてみたバスの発着場に行ってみたが、わからない。

バスinfoがあったので聞いてみると「エイティーン」と一言だけ。とりあえず18番の代行バス停に行けば大丈夫そうだ。ただ18番の電光掲示板は明らかに別の行き先に表示されており、8:40発となっていた。そして調べていた代行バスの写真とは明らかに異なるものでサイズも1サイズ小さい。

ひとまずドライバーに「ヴィエリチカ ソルト マイン?」と聞いてみた。

もっとちゃんと英語使えよ、という話なのだが、英語を苦手とする国や年齢層だと逆に通じないことがある。こちらは明らかに外国人観光客なので行き先だけ伝えてイエス・ノーをもらう方がお互いに理解しやすいのだ。

そしてヴィエリチカ自体は「街の名前」なのでちゃんと「ソルトマイン」をつけた方がいい。アジア人旅行者なんだから察してくれ!というような考えは外国では捨てた方がいい。「聞かなかったお前が悪い」というのが定石である。(日本すごい)

案の定バスのおっちゃんは英語が苦手そうであった。
幸いにも頷いてくれたので「ワン チケット プリーズ」とその場で購入。
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8:40発だから9:18には着くはずだ。近くなったら改めて確認してみようとココロに決めて満員の車内に乗り込んだ。これだけ人がいるならみんな観光で岩塩坑に降りるだろう、と期待していたのだが、30人近く乗っていたバスでそこへと降り立ったのは私とたった1組の父娘だった。


ヴィエリチカ岩塩坑
Infoでツアーのピックアップはどこかと確認をし、9:26には集合場所で並んでいるところに合流できた。順に5人組の人、3−4人組の人、2人の人と呼ばれていたので、最後にボッチ…いや、一人の人を呼んで調整するのかなと思って待っていたら、9:30になっても呼ばれない!!!

待機している人はまだいるのに。。と思っていたら入り口を閉められそうになったので慌てて列をかいくぐりスタッフに「アイ ハブ リザベーション ナイン サーティー」とスマホにスクショをしておいた予約表を見せたら何事もなかったかのように中へと通された。

なんだまだいたのか的な感じ。でもこっちでは当たり前。(日本すごい)。改めて指示待ちではなく、自分から動かないと何もできないなぁと久しぶりの海外に実感を深めた。


入るとハイっとオーディオガイドを渡された。
操作は難しくなかったが、300近くあるチャンネルの何番に合わせればいいのか誰も教えてくれない、もしかしたらすでに説明が終わっていたのかもしれないなと諦めて、かたっぱしからチャンネルを探っていった。
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23と24でかすかにチャンネルがはいった。
他にも123が生きていた。

ひとまずのところ23に合わせて、いよいよ内部へのツアーが始まり、前室のような内部洞窟への降り口へと通された。20人くらいだろうか。ガイドが前方で話を始めている。ちょっと聞こえづらい。オーディオガイドと組み合わせながら聞くのかな、と23のノイズ交じりなオーディオガイドにも耳を傾けた。

このとき、おばあちゃんがいきなりツアー列に飛び込んできた。ギリギリの参加者かもしれない。

あたふたとおばあちゃんがオーディオガイドをセッティングしていると、近くの高校生くらいの女の子が「24番に合わせるのよ」と英語でそのおばあちゃんに教えていた。

なるほど、そうか!とココロの中で頷き、24番のチャンネルに密かに合わせたところ、めっちゃクリアにガイドが聞こえる。サンキュー、おばあちゃんと現地女子高生。これで順調にツアーをこなせそうだ。
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ツアーの最初は木材で組まれた階段を地下30階分くらいひたすらに下っていった。とにかく降りるだけで、上を見上げても下を見下ろしても空洞と階段しかない。修行僧か!とツッコミたくなったが、これには他のツアー客も同じような感情だったかはしれないが、笑いが溢れていた。いったいどこまで続くんだ的なものである。
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壁のナンバリングの数字は1つの階につき1・2と2つ分カウントされていた。最後の方の数字は60くらいだったので、おそらく地下30階、人が1人分が1つの数字の高さにあたったので、地下90mくらいかもしれない。降り立った先の広場ではガイドが待ちながら出迎えてくれていて、改めての説明と見学ツアーが開始された。

最初は木組みで支えられた洞窟を奥へとひたすらに進んでいく。
10分くらい進んでいくとようやく最初のガイドスポットに到着した。
岩塩坑自体についてのみ解説をしていくのかと思ったが、思ったよりも遥かに幅広い情報量を吸収することとなるツアーだった。
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坑夫たちの仕事のマニュアルから実際に使用した道具のほか、先史時代からの歴史的な流れや歴史上の情勢など、非常に盛り沢山で、洞窟内部も広いことからその探索だけで2時間は歩き回った。
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途中個人的にメインであった、聖キンガ妃の話もあり、トライナリーの中で得られた情報以上に、より献身的にこの岩塩事業に取り組んでいた様子を聞くことが出来た。(岩塩でできている)
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演出もあるだろうけれど、このヴィエリチカ岩塩坑がポーランドという国にもたらした影響力を体験することが出来たのは嬉しかった。(ガイドは英語である)
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礼拝堂
さて、2時間のうちメインで聖キンガ妃について語られたのは二箇所で10分ほどであった。ラストの方ではよくガイドブックにも載っている聖キンガ妃を祀った礼拝堂に到着。ここでは10zlを支払うと写真や動画の撮影許可がもらえる。ここに来て追い課金かー!とは思ったが、払わないわけにはいかない。無事に支払い、許可証シールをゲットした。これで堂々と撮影が出来るぞ。
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撮影をしつつ、今回の目的地の一つ、ヴィエリチカ岩塩坑の聖キンガ礼拝堂の空気を味わっていると、なんだか色々と想いがこみ上げてくる。triOSを通じて、ガブリエラと知り合い、様々なことを経て結婚をした。その際に彼女が言っていたのが、ハネムーンでポーランドに行きたいということ。そしてこの岩塩坑に憧れを抱いていたこと。
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彼女の想いを宿した年次報告の手紙にあったチャームを手元によせると、えもしれない深い感動がココロにこみ上げてきた。確たるものがあるのかないのか、そんなこともはやどうでもいい。自分自身のココロを持って、世界や次元なんて壁軽々しく飛び越えていけばいいのだ。リアルがどうこうなんて問題は宇宙や魂のレベルからモノを見れば非常に微々たる些細な問題にすぎない。結局のところ自身がどのように想い、感じ、行動をするのかにのみ帰結する問題であるからだ。ただ、そこにある、胸の奥から湧き上がってくる気持ちのみが本物であるのだから。
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少し捻くれた見方をすれば、目の前でイチャイチャするEU人を見ていると、ヒマで退屈だからと、フロイトが病気であると提言したような分泌物に沿って恋人を作ったり、誰かと一緒にいたいと思ったり、電話をしたりしているのではないか。

何が幸せなのかはその人のココロが決めればと思う。
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動物における相互依存の関係性は、そういったものからも生まれているのではないか。イキッた言い方をすれば、それらを脱却した状態にいるひとたちは精神性において時代の先端にいるのでは、と思ってしまう。

ブッダにせよ、キリストにせよ、ムハンマドにせよ、それらの超越者だからこそ、人間世界の希望の光となっているのではないか。教会で涙ぐむ女性を見てそう思う。

だいぶ穿った見方を書いたが、EUの観光地というのはどこもイチャイチャチュッチュのハグハグだらけであることや、退屈そうに1人で電車にのっている少年などをちょうど見てきたせいもあって、そんな考え方にブーストがかかっただけのものということで、ご容赦願いたい。友愛や友達依存を否定しているのではなく、もっと本質は違うところにあるのではないか?という自分への言い訳をしているような者だ。
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脱線が長引いたが、聖キンガ礼拝堂の見学タイムを終えると終盤で、2時間に及んだツアーは解散をした。あとは各自でツアーに引き続き参加するか帰るかを選ぶものだった。
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オプションツアーという訳ではなさそうで、そのまま参加もできたのだがアウシュビッツ収容所にも同日内で訪れる日程から今回は断念し、地下レストランでザワークラフトとチキンというE Uの定番的な料理を平らげてエレベーターで一気に地上へ出ることとした。
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最初に60m近く降りた後も緩やかに下降しながら洞窟内をひたすら進んできたこともあり、解散した場所は地下130mにも及んでいた。こんなにも地下深い場所でもお土産の売店やレストランなどが充実しているあたり、観光資源として今でも重要な役割を担っているんだろうなぁと思う。
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レストランから30分進んだ先にあるエレベーターで一気に地上へと出た。
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とあるマルザンナのココロの旅 ポーランド編④初日ワルシャワ編 [アルトネリコ・サージュコンチェルト]

2019年8月13日(火)

現地時間6時30分頃起床。

見知らぬ天井・・・とお約束をして、すぐに、あぁ、ポーランドにいるのだなと少しばかりの時間想いを馳せる。

さて、今回の旅程を拙著「卒業文集vol.3のポーランド聖地攻略序章」より確認しておく。
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この日はいよいよトライナリー唯一の聖地カットがある旧王宮広場を含むガブリエラの故郷をじっくり回れる日だ。
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一日を目一杯使おうとまだまどろむ頭の中で少しばかりの決意を新たにした。
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素泊まりではあるが2泊とっているので荷物は部屋に置き、財布、パスポート、スマホ、ルームキーのみGパンのポケットに入れて手ぶらで出かける。

サスキ公園〜旧王宮広場へ
旅先で歩くことが好きな私にとって約3kmある旧王宮までの道のりはちょうどよい散歩距離であった。
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ゆっくりと街並みを見ながら歩き始める。
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全てではないがヨーロッパの主要都市をこれまで見てきた私の目には、ポーランドは主要国に比べて若干遅れている国なのかなと思えた。
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これは感覚的なものなので、言語化できなくはないが、野暮に感じるのでいまここでは書かないことにしよう。
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30分ほど歩いた先で小腹が空いたのとwifi環境がほしくなったので、適当なカフェ(ポーランド国内チェーン?のGreen Cafe NERO)に入った。
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カフェで店員とやりとりをしたり、店内の雰囲気を眺めていると徐々に外国に来ているんだなという実感が湧いてくる。いつもの旅なら自由度を高くし、適当にやり過ごすことも多いのだが、今回はヘタレた自身に少しムチを打つ意味でも色々と挑戦してみようとここで決意を新たにした。
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道中にあるサスキ公園では赤と白の花絨毯が中央広場に向かって敷かれていた。
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これはポーランド国旗の色を示すものだろう。
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ちなみに国旗の意味は、元はポーランドの建国者レヒが、夕日を背景に飛ぶ白鷲を見て旗にしたとされる。しかし、19世紀の独立運動の中では、白は共和国の尊厳を、赤は自由を表すものと意味が変わり、現在に至っている。1980年までに濃く明るい赤色に改訂された。(wikipedia参照)

なおサスキ公園では衛兵の交代式も行われていた。
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配色についていえば日本も同じ赤と白を使用しており、ガブリエラの歌の中にも「W nadziei na trwały...」と、両国の繁栄と友好を祈るものが示されている。
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白い炊き立てのご飯もキューティーな赤のバルシチも両方いい。
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ワルシャワ大学にも顔を出しつつ、観光の王道でもある新世界通りを通って有名な旧王宮広場に出た。
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通りをゆるやかに上り歩きながら行き着いた旧王宮広場は、ちょっとした高台に出たように景色が開けて、小さな山の山頂にたどり着いたような感動が胸におそってきた。
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ここがあの、ガブリエラが書いたポーランドワルシャワ観光のメッカ、旧王宮広場か!と少し歩き疲れた脚も心地よさに変わり、しばしの間その景色を堪能した。
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少し落ち着いてきたところでオタクらしく?ガブリエラとともに記念撮影。
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ひとしきり聖地の空気を味わった後は王道観光ということで、旧王宮見学、教会見学、復興されたワルシャワの街歩きをした。
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幸せの鐘
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人魚
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ガイドブックにはなかったが、新市街広場のほんの少し先に行ったところにある教会は人もほとんどおらず、周囲の喧噪もなく、小さな咳払いすら隅々まで響きわたるほど静寂に包まれていた。
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耳鳴りが痛い。こんな感覚いつ以来だろうか。互換が磨かれる感じ菓子、こんな空間であれば神聖なものを感じ、自己の内省も深まると環境による自己の内面の変化に気がついた。
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このあたりから街中でよく聞こえてくるヂェンクイン(バルゾ)というフレーズがよく耳に入ってくるようになる。ありがとう、だ。

これまでいくつかの国を歩いてきたが、ことポーランドにおいてはほとんど無知な状態で入国を果たした。今回のきっかけとなったトライナリーでその都度ガブリエラのポーランド語は訳していたが、体系的なものではないので、身にはついていない。

せめて「ありがとう」くらいは、このときくらいから使ってみることにした。


街歩き
ランチを探して街中をぶらり。一旦旧王宮まで歩いたことでいくらか街にも慣れてきた。

具体的には土地勘が生まれて、「この道を行くとこうなるはずだ」という地図と感覚が一緒になってくる感じだ。こうなると精神的にずいぶんと楽になる。

さて、何を食べようかと思案するが、順当にガイドブックに沿って「ザピエカンカ」という、日本でいうとピザトーストのようなものにすることにした。

久しぶりの外国でお店に入るには勇気がいる。でも入らないと始まらない。ということで屋台にプラス数席ほどある軽食スタンドのようなところに入り、目当てのものを注文。

とりあえず一番安くてシンプルなものを...といえば聞こえはいいが、メニューが読めなくて、とりあえず一番メニューの上にあるものを注文した。スラブ語系に属するポーランド語の発音は勉強していないとさっぱりわからない。

出てきたのはTwitterにもアップした巨大なソレだった。
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30cmくらいの長さはあろうか、フランスパンを横に長く切った楕円形のパンの上に熱々のチーズ、みじん切りされたマッシュルームの香りが鼻にぬける。ふんだんにかかったケチャップが食欲をそそり、見た目からなんとなくの味は想像できたが、食べてみると案外味のバランスがよくて美味しい。

ヨーロッパは若干国による差はあるものの、基本的にパンそのものが美味しい。

30cmも一人で食べるなど飽きるのではないかと思ったけれど、コクが後押しをしてくれて最後までペロリと平らげてしまった。schwetzのレモンもドリンクとして頼み、さわやかにのどを潤しつつ、食べカスとして出たパンくずは、外のテーブルだったので集まってきたスズメたちのランチともなっていたので、簡単なエコライフも感じることができた。

このお店はワルシャワセントラルの交差点から北上していった先にあったが、印象深いのは周辺がエロティックショップに囲まれており、その一角にあったということだ。

ヨーロッパの大都市ではときどきエロティックショップも街中で見かける。だいたい周囲に固まって何店舗もあることが多い。余談だが、性に寛容でオープンなオランダは他国に比べるとより多い印象である。アムステルダムにはミュージアムもあり、また世界的なゲイパレードも毎年開かれている。




おなかも満たされたので、ポーランドユダヤ人関連のミュージアムにいってみることにした。ランチをした店からも程なく近い。

entranceと書いてあったので、何となく裏口っぽいなぁと思いつつ入ってみると、電気もつけない中でスタッフと荷物チェックをする警備員。明らかに場違いな空気を感じ取り、一度外に出てみると来た方向とは反対側にstaff entranceと書いてあった。
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本エントランスはこの先にあるとの表示に従って入り口についたが、様子がおかしい。そう、休館日だったのだ。シーズンでも確実に休みがあるところなど実にヨーロッパらしいなと。仕方ないので今度はトラムに挑戦しつつ軍事博物館に向かうことにした。


軍事博物館へ
トラム乗り場にあった券売機でチケットを買おうとしていた、前に並ぶアフリカ系のチャラ男くんが立ち往生をしていた。買えなかったっぽいが、譲ってくれたので買おうとすると、カードもコインも受け付けてくれなかった。

今考えれば、だいたいのトラムの(全てではない)車内で買えるので乗ってしまえばよかったのだが、別の券売機を探しに、次のトラム乗り場(およそ交差点ごとにある)まで歩いてみた。

券売機がなかった。。これもあるところとないところがあるみたいだ。大きめな交差点だからあると思ったのだけれども。
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仕方がないのでもとの交差点まで戻り、再度チャレンジしてみたところ無事に買うことができた。先ほどはシステムエラーと出ていたのだが、ものの数十分で復旧したのだろうか。前日夜到着したときに24時間券を買っておけばコスパもよかったなと思いつつ、少しだけ安かったのであまり気にしないことにした。

一度トラム内で改札(機械があるのでそれにチケットを通す)を済ませれば、あとはもう改札する必要がおそらくない。夜ホテルへの帰りに乗ったトラムで検札を受けるが、特に問題はなかった。地球の歩き方でトラム番号を調べて隣接する国立博物館前で降りて軍事博物館へと向かった。


軍事博物館は入口から凄かった。私はミリタリー関係に全く詳しくないが、軍事利用されていた戦車や戦闘機、爆弾のモデルに砲塔などが庭にずらりと並んでいた。
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中でも戦車縦列は圧巻だった。
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それにしても、入り口を探してみると目ぼしいところが見当たらない。おかしい。これはどこから入るのか。こんなにわかりづらかったら客足にも影響するだろうと思いつつ、もしやと思っていつものガイド本を読んだところ、こちらも火曜定休!OMG!

事前に分かっていたとしてもこの日程を調整することは難しかったので仕方がない。ただ最終日前にワルシャワへ戻ってくるから、その時に行ってみることにした。


ショパンミュージアム〜ヴィスワ川
一通りのやることも落ち着いたので、ポーランド名物のポンチキを食べながら散策。
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ショパンミュージアムも近くにあったので立ち寄る。
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個人的にクラシック音楽の畑にはいたので、展示内容もなかなかに充実していて面白かった。

そして近くのヴィスワ川沿いに散策をすることにした。

パリのセーヌ川やロンドンのテムズ?川など、夏の川沿いは人で賑わっており、ヴィスワ川もその例に漏れていなかった。

露店や常設のカフェなどが所々にあり、芝生で寝そべっている人、川のほとりでビールを飲みながら語らう人、ベンチでゆっくりした時間を過ごすおじいちゃんおばあちゃん。ランニングやサイクリングを楽しむ人、家族でピクニックを楽しむ人など、実に夏のヨーロッパらしい光景であった。
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こういうことを書くとヨーロッパの人たちは時間の使い方がうまい、人生を豊かに楽しんでいると思うが、実際は環境がこういう雰囲気を作っていることもあるだろう。日本でいえば避暑地やGWの穏やかで暖かい気候。長い冬を抜け出した開放感、それを促す様々な露店と開放感あるムード。どんなに日差しが暑くても木陰に入れば涼しく爽やかだ。こんなの誰でも埋まる〜んて芝生ダイブするだろう。
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日本でやろうとしても高温多湿でそれどころではない。最近では高原地でも30℃を超えることが多いと聞いている。日本人には日本人なりのバカンスを楽しむ方法もたくさんあるが、この穏やかな気候は正直羨ましいと思った。


道中あったコペルニクス博物館を覗き見しつつ、旧王宮広場まで戻り夕飯をとることに。
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旧王宮広場・夕食

せっかくなので、旧王宮広場にある展望塔にも登ってみることにした。
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美しいソラノイロを観た。
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頭の中にはソラノキヲクと共に、かつてガブちゃんと約束していたことを想い出した。
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彼女もきっと同じ空を見ているはず。。。

夕食へ。

夕食は少し歩いたところにある広場の適当なお店に入った。
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だいたいこういう広場に出ている店にハズレは少なく、英語メニューも充実している。
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案の定適当に入ったお店は接客もよく、混んでいても手際良く料理を運んでくれた。

ちゃんとした夕食がこの旅初めてだったので、ポーランド料理であるバルシチとプラツキを頼んだ。ピエロギも頼んだが売り切れてしまっていた。頼んだバルシチの中にピエロギも入っていたが、皮が分厚くて少し硬めの水餃子といったところだ。
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以前レシピを見ながら自分でもバルシチを作ってみたが、やはりというか、全然味が違い、爽やかなコクと深み、喉越しよく香るかすかな酸味、とても美味しくてぐいぐい飲んでしまう。スープに入っていたピエロギはむしろ水餃子の方が良かったかもしれない。

プラツキはサワークリームとサーモンとイクラが乗っていた。正直プラツキ自体は硬めに薄く焼き上げたハッシュドポテト風で焼きの苦味が若干ある。サワークリーム他のトッピングでそれなりに美味しくは食べられたが、トッピングなしには少しキツイ。飛行機の中で観た映画「残像」の中で娘が父にプラツキを作ってあげたが、父は一口食べると「下げてくれ」と言い放った。アーティスティックな映画なのでもう少し深い意味もあるかもしれないが、トッピングなくただ焼いただけのそれはわかる気がした。
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一日中ワルシャワ市内を歩き回ったのでトラムの乗り方も含めてだいぶ余裕が生まれ、適当にトラムに乗ってホテル前に帰着した。

適当というのは、トラムの進む方面(方角)だけ見て、だいたいあっちの方、という感じで乗ったのであった。幸いホテルがワルシャワオコタという駅近なので地図的にも迷わずに帰ることができた。

一応駅で翌朝使う電車の確認をしてからホテルの自室に戻った。時間は22時だ。
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この時なぜか「ワルシャワ西駅」を使うものだと思い込んでいてそのための時間チェックをオコタ駅でしたのだが、念のためにと持ってきた鉄道の予約表を見てみると、central sta.と...アレ...こんなに文章を書いていても天然なのか、こういったドジっ子属性は秘かにイヤになってしまう。
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いつもどこかぬけるんだよなぁ。。まあ事前に気がついたといことで万事OK!翌朝は5:50の電車でクラクフまで行き、ヴィエリチカ岩塩坑とアウシュビッツというハードスケジュール。この二つはとても離れていて移動が難しい。どうなることやら。

旅のドジっ子属性、頼むから発動されないでくれ。。。

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とあるマルザンナのココロの旅 ポーランド編③ポーランドに到着 [アルトネリコ・サージュコンチェルト]

ポーランド到着

日本から乗り継ぎも含めて、約14時間かけて現地時間の19時30分にポーランドワルシャワのショパン空港に降り立った。
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去年の12月に嫁との新婚旅行を断念したが、なんとか来ることができたのは嬉しい。
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また、ヨーロッパは以前よく来ていたが、今回は2015年のスペイン以来ということで久しぶりとなった。日本時間はポーランド時間に7時間足すので、26時30分、つまり夜中の2時半だ。
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現金を空港にあるクレジットカードの引き出し機で300zl(6000円)ほど引き出し、レートは悪いものの多少ということで150zl(5000円)ほど両替所で暇そうにハンバーガー食べてる兄ちゃんから引き替えた。

1zlは30円ほどである。

さて、現金の準備も整ったので空港のwifiを活用して準備を進めるべく、マクドナルドに入店。

驚いたのはデジタルサイネージを活用した巨大なタッチパネルで注文をできることだった。英語も対応しているので、見よう見まねで注文する。このタッチパネルは各自で操作ができ、カードももちろん使える。
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自分自身で控え番号を入力するのが若干面倒ではあったが、英語やポーランド語を話さなくてもいいのは気が楽だ。

カウンターの電光掲示板に出来たら表示される。(されない場合もあるらしい?)まあよくわからなくても、とりあえず外国人ということを見越して一応店員が持ってきてもくれるようだ。
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とりあえず超甘いマックシェイクを飲みつつ、今夜の宿の場所を確認。
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アクセスは事前に地球の歩き方で調べてはいたが、念のため。市内へは空港からの電車に乗って出ることに。どうやら各駅停車の駅しか停まらないワルシャワオコタという駅ではあるが、中央駅からも徒歩圏内にありそうなのでなんとかなるだろう。


ホテルへ
空港内の案内矢印(床に伸びている)に沿って鉄道へと向かう。
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時間も遅いからか閑散としており、最初の切符売り場を見逃して、あやうく無賃乗車をしそうだった。地下に入って左に折れる前に券売機があったのだが、大きなイカツイ駅員らしき人が仁王立ちをしていて見えなかったのだ。

20分乗車券を購入し、行き先はよくわからないけど、2つしか電車が止まっていなかったので思い切って乗ってみた。
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こういうのは大抵中央駅にいくからであり、ガイドブックにも空港から電車でアクセスできると書いてあったからだ。幸いWi-Fiが完備されていたので地図アプリとにらめっこをしながら現在地と向かっている方向を確認して乗車時間を過ごした。

途中反対方向へと向かう大きな分岐点があったのだが、無事に中央駅方面に曲がったときはよっしゃ!とココロの中でガッツポーズをした。電車の行き先が全く読めない、わからないからどきどきもしていた。(あとから知ったが、空港発の電車は基本的にセントラル方面へ行くらしい)

ワルシャワオコタの駅が最寄りではあったが、乗車した電車はその駅をすっ飛ばして行った。事前にマクドナルドで中央駅からのアクセスも調べておいたので、少し残念くらいの心持ちであった。

しかし、異国についてまずは中央駅に降り立つという気持ちよさもあるため、どちらかというと気持ちは浮き立っていたかもしれない。
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そこまで大きな駅ではなかったが、デザイナーズ系のショッピングモールが併設されており、人はたくさん行き交っている。夜8時をすぎてもいたので、通り過ぎてしまったオコタ駅へ向かってとぼとぼと歩き始めた。
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大通りをひたすらにまっすぐ進んでいくだけなので楽である。

一番最初に気が付いたのが、乗り置かれているキックボードの多さであった。
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これらはアメリカやヨーロッパの一部都市で導入されているもののようだった。ちなみに日本では免許が必要なようで、導入はされないだろうとのことだが、検証はされているようである。

キックボードとはいえ、電動であり最高速度時速25kmと、自転車をかっ飛ばすくらいにはスピードがでるので、自転車道の整備されていない国では厳しいかもしれない。

キックボード参考リンク ワルシャワでよく見かけたのはLimeが多かった。
https://www.businessinsider.jp/post-200199

ホテルに無事到着、チェックインしてこの日は爆睡。
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記事にもしているが、ホテルのアメニティーはこのようなビジホクラスだとほとんどないみたいなので、事前に用意していくのが無難であろう。
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とあるマルザンナのココロの旅 ポーランド編②成田搭乗〜経由地モスクワまで [アルトネリコ・サージュコンチェルト]

東京―モスクワの機内にて

まもなく飛行機は経由地であるモスクワへと到着する。

約9時間のフライトではこの記事を書いたり、Kindleに入れてきた本やガイドブックを読んだり、国際線にはたいてい付いているTVモニターで海外ドラマのFRIENDSを観て楽しんだりと、それなりに有意義に過ごすことができた。
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機内食
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そういえば、隣で日本語をPCで勉強している外国人に

「僕らは運命共同体だからトイレ行くときは一緒にいきましょう。」

と言われた。

おそらく若い彼はユーモアを含めたつもりで言ってきたのだろうが、日本語で言われた分、そのセンスは微妙なものになり中途半端な笑みと首肯で返してしまった。(英語で言ってくれた方が小気味よかった)

ちなみにこの地点はモスクワ経由だったので、通過せず北緯のもう少し高いところを通過していった。
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東経122度は日本の国境に値するけれど、北緯27度は東南アジアなどからのルートだろう。東シナ海だ。
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神楽ちゃんは直行じゃなくて下手したらバンコク経由で入ってきたのか、あるいは匿名便として通常運航ルートとは別にフェノメノンのポイントに向かったのかもしれない。
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モスクワ到着

モスクワに降り立ち、乗り継ぎまで1時間30分ほど。

空港のwifiをアテにしてきたが、携帯電話の番号が必要でSMSメールを受信できなければならないようであった。

これまでの経験から携帯電話(通話用のガラケー)は使うことがなかったのでおいてきたのだ。ネットはともかく、せっかくロシアに降り立ったのでデレステAR機能を活用し、アナスタシアを召喚したかった。

仕方がないので、空港内のカフェでこの日記を書き進めたり、修正をしたりしている。

空港内ではどこでも(自販機ですら!)クレジットカードが使用できる。

日本時間では23時という深夜だが、こっちは夕方!とココロにいいわけを響かせながらナポレオンというケーキを頼んでみた。(ロシアの焦土作戦でナポレオン軍を追いやったことは有名である)
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EU方面はいかんせんサイズも大きくカロリーも高い!

このケーキ、ナッツがちりばめられていて美味しくはあるのだが、パイ生地と生クリームとチョコレートとナッツが何層にも重厚にミルフィーユされていて、とにかく分厚くてデカい。
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はんぺんをプレスして5枚は重ねてドーンしました的なボリュームで食べるのに一苦労した。

甘さも控えることなく、遠慮なく甘い。こういうのを食べると、なんだか外国に来たなぁという気分にもなる。

ワルシャワ行きの搭乗口の変更があったが、ひとまずゲートには到着。

さて、この後は小型のジェット機に乗り継いでポーランド入りをすることになりそうである。
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NETFLIXにダウンロードしておいたポーランド映画「残像」を鑑賞しよう。


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とあるマルザンナのココロの旅 ポーランド編① [アルトネリコ・サージュコンチェルト]

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▼ブログ前書き
これは2018年8月31日に接続が途切れてしまった、拡張少女系トライナリーのガブリエラ=ロタルィンスカとの新婚旅行記です。

事情を知らない方には痛いかもしれませんが、基本的には普通の旅行記として書いていくので大丈夫かと思います。

コミケへ出す機会をうかがっていましたが、目処が立ちそうにないので、何回かに分けてブログで出していきます。

作品紹介は省略しますが、公式サイトはまだあるので、よかったらご参考ください。
https://social.gust.co.jp/kakutora/index.html

▼2019年8月12日(月)

午前7時 埼玉県飯能市にある自宅を出た。
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この日は前日に行われていたコミックマーケットC96の出展を終えてフォロワーたちも何人かうちに泊まりに来ていた。

それはいつもの光景であった。

フォロワーたちの中には翌日に出展を控えているものもおり、私も朝7時30分には家を出ると伝えてはいるのだが、みんな明日のことなどどこ吹く風か、夜中まで自由に語らうものとなっていた。

記憶にある限りにおいては、夜中1時30分頃の就寝だろうか。朝は全員5時過ぎに目を覚ましている。



自宅を出てからは予定よりも早かったこともあったので、近所のコンビニで旅程表や予約表を印刷し駅へと向かう。7時29分の特急レッドアロー池袋行きに乗車をし、成田空港第1ターミナルへと向かった。

JR日暮里駅より京成スカイライナーにネットの予約券で乗車をし、その広い空間から車窓に映る空を眺めた。
ああ、この空はポーランドに繋がっていて、そしてガブリエラのいる世界とも繋がっているんだな…と、そんな想いを馳せているとソラノキヲクのイントロが音楽プレイヤーから流れ始める。
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私にとってのトライナリーは紛うことなくホンモノであるのだなと、年に何度も訪れる現実感をこの日もまた、より深く実感するのであった。そのままバイノーラルCDへと音楽プレイヤーは移り、車内でひっそりと涙を流したのは言うまでもない。



午前9時32分 成田空港に到着。
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空港自体には年に数回訪れているが、国際線ターミナルは2017年THE IDOLM@STER MILLIONLIVE FIRST TIME IN TAIWANの公演時にタイガーエアを利用して以来である。

その前は2015年のオランダースペイン研修&聖地巡礼旅であった。

久しぶりということも相まって、すっかりと目移りばかりするお上りさん状態だ。

wifiはどうする、両替はどうする、など色々なことが脳裏によぎったが、まずはチェックインを済ませることにした。

実は・・・このチェックインのことをツイッターの方には明かしていなかったのだが、ちょっとやっかいな問題を抱えていた。



私たちの同人誌サークル「さやえんどう」が出した前作、卒業文集vol.3のポーランド記事の中で、旅費を工夫するために今回の旅行に関して1月には手配をし、分割払いで支払いをしていると書かせていただいた。
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順調ではあったのだが、6月下旬、帰路のフライト変更に伴う了承メールが予約元のExpediaから届いた。内容に同意をしますか、はい/いいえ的なシンプルなものである。変更内容だと最終日の時間効率が悪くなってはしまうのだが、やむを得ないので同意をした。

その後ショートメールの方に今度はアエロフロート(航空会社)の方からフライトがキャンセルされました、お電話ください、と英語でメールが届いた。

はてな・・・?

Expediaの方で手続きをしたのにこれはどういうことなのだろうか。

▼出発前トラブル

ポーランドに行けなくなっても困るのでExpedia側にも連絡をとってみた。外国籍の新人の方なのかはわからないが、サポートの担当者とのコミュニケーションがかみ合わず色々と手間取った。

今回の件に関することは特に問題なく解決したのだったが、突然に「あなたはこのままいくとフライトに乗ることができなくなるかもしれません」と、いきなり全く別の問題を切り出された!

担当者の話し方の問題もあって、全く要領がつかめず、いきなり何を言ってるんだこいつは!?と心の中で語気荒く、でも落ちつきをなんとかはらって詳しく聞き出した。それまでも支離滅裂な話し方でイライラさせられていた。

要は航空券の購入時に登録名の名字・名前が反転してしまっていて、このままではシステム的な問題で乗れなくなるかもしれないとのことであった。(どうしてそういった大事な問題をこちら側からの別件問い合わせ事項のついでにふっかけてくるんだよ!)と心中穏やかじゃなかった。

実際仕事に出なければならない時間もせまっていたこともあり、苛立ちももはや隠すことをせず手続きをした。しかし、エラーになる。この件は6月のやりとりであったので、時間的に余裕もあったが、色々あって直前まで響いてしまった。



最終的には知り合いに航空関係のシステムエンジニアがいたので相談をしたところ、フライトまで48時間を切るとチェックインする顧客データが仲介(Expedia)から航空会社(アエロフロート)に渡るので、保障ができなくなる意味で煽っているのだろうと。

当日の空港カウンターで事情を話せば大丈夫ではないかと。なぜなら旅行企画会社のツアーなど、当日の乗客変更も多いだろうし、そこに対応ができなければ危機管理がなっていないのではないか、と。

もちろんこのことは正確には言えないけどね、と付け足してはいたが、この言葉には救われた。実際先方からはシステム手続きのために3000円ほど要求されたが、知り合いの話に納得がいったのでそれは放置して当日のお楽しみ(緊張・・・)とすることにした。一抹の不安はあったけれども。


▼チェックイン
長い回想を経てしまったが、空港のチェックインカウンターにて、素知らぬふりをしながら「チェックインお願いします」と申し出た。

順調に、とはいかなかったがカウンターですべて対応をしてくれて、こちらは何かがあったときに了承してもらえるかの書類にだけサインをした。

実際この書類も航空会社の立場にたって考えてみれば、未然にクレームを防ぐためのものであって、今回は名前の上下入れ替わりミスだけなので基本的には対応してくれるものだろうと推測もしている。

これまでの苦悩もなんのこともなく、あっさりとチェックインができた。無駄に航空会社のシステムを学んだ旅行計画となったものだ。

実際は何もしなくてもカウンターで手続きをすれば済むものだったが、航空券を購入するときは姓と名の向きには気をつけたい。
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さて、経由するモスクワのあるロシアでは、当日のニュースで核か何かの実験が暴発し5人が死亡するというニュースがあるくらいには情勢がよくない。

今この旅行記を書いている往路の機内(北緯51.4度、統計129.16度においては問題も発生していないが、どうなることやら。あぁ!Pomera(ミニワープロ)を持ってくればよかった!ノートで手書きするのも久しぶりでくたびれた。
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