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第7回イエナプラン教育学習会 [オランダ教育/イエナプラン教育]

読書会としての内容は次回に回ります。

赤字:ひとまずの結論・推量
青字:問い
緑字:感情・興味深い


▼チェックイン
この記事にある甲斐崎さんのクラス見学

AERA 2016年 2/1 号 [雑誌]

AERA 2016年 2/1 号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2016/01/25
  • メディア: 雑誌


全校が対象だったけれど、取材もあってかかなりたくさんの人がKAIさんのクラスを見学に訪れていた。
自然な感じがした。
東京都のHPだと公開研究になっていて、全国から集まっていた。
来年度は国語で同じスタンスで研究していくとアナウンスされていた。

6月の信頼ベースの学級ファシリテーション2日間講座があるとも。
http://wbmf.info/2016062526/


▼多様な学び実践研究フォーラム参加
スクリーンショット 2016-02-12 11.38.15.png
http://aejapan.org/2016/index.html
フレネの実践など聞いていて感動した。
K氏、後でフェイスブックなどで共有しますとのこと。(許可を頂き掲載)
スクリーンショット 2016-02-12 11.45.06.png

多様な教育を推進するためのネットワーク
http://altjp.net/classification/article/91


▼先生の呼び方
スタッフ(フリースクール):子供の支援者というニュアンスがある
先生:教える人というニュアンスがある

フリースクールは教員免許を持っていない人も多い
→専門性は?質の保証は?

教育の専門家として、子供達をみられるのだろうか。
もちろんそういったところから漏れてきた子供達もいるだろうけれど。


▼フリースクールのスタッフの専門性
学校の先生の専門性とかぶるところもあるけれど比重が違うのだろう。
学校の先生は学級経営、教科指導、生徒指導、幅広い専門性をバランス良く持っている必要性がある。
スタッフは、学校から漏れたり傷ついたりする子が来るので、子供の心をケアできる専門性が必要なのかな。カウンセラー的な。

子供を支援する人の専門性があまり言語化されていない。と専門家が言っていた。やっとされてきてはいるが、まだ限定的。

学びの場が増えるのは悪いことではないけれど、質の担保が課題。


学校の現場でさえ、いろいろ言われているけれど、インクルーシブに関して言うと、現場の先生たちはほとんど理解されていない状態。研修や学びはあってもその状態。
そういった現状がありつつ、さらにそういった勉強(教職課程など)をしてきていない人たちが多くなってきた時、フリースクールにとっては大きな課題だろう。


▼システム面の整備がフリースクール課題

日本の学校システムも素晴らしいと思った。
先生たちがその中でどう先生たちが身を施すのか、校長たちがどのように舵を切っていくのか。

あれだけシステマチックであれば質は保証されるよなぁ、少しは。(その質の言及も必要)

イエナプランでは、
先生たちの専門性がはっきりしていて、何をどう取り組んでいくのかが明確、それぞれが有機的にシステムとして機能しあっている。
今になって思うと、仕組みがあるというのはすごく重要なんだな。
フリースクールにしても、ある程度先生たちや学校システムも最初に開発しないと。
先生たちの専門性もそうだけれど、そこだけに頼るのは難しいだろう。


▼イエナのポイントガイド
先生の自己評価
・リーダーシップ 12項目
・内容      8項目
・教授法     8項目
・組織      8項目

JASはこれに基づいて、学校と教員の自己評価指標を作っています。(とある)

参考「イエナプラン教育のためのポイントガイド」
スクリーンショット 2016-02-12 12.00.02.png
https://efc.stores.jp/items/526b73583e7a4afc0500000f

日本はこういうところが足りない?教授法に視点が偏っている気がしている。

最近、北海道の堀先生が
日本の一斉授業みたいなこともできて、アクティブラーニングにつながってくる
いいものを掘り起こし、共有してから・・・と。
その辺りは問い直していく。それらを踏まえてイエナなど新しいものが生まれてくればいいのかと。


▼下北沢の勉強会とその共有
memo記録ブログはこちら
http://jenaplan-japan.blog.so-net.ne.jp/2016-02-07

4つの活動の中の学習と遊び
遊びの要素は企画された遊び自由遊びがある

日本の教育の中で遊びは、教科教育に遊びを結びつけている例はある。 算数で平行四辺形の面積を求める時、深め合うの?
あるにはあるらしい ブロックアワーの中のインストラクションにあるらしい。(11月のフォーラムによる)

日本は遊びを管理しようとしすぎるよね。
自由遊びと企画遊びが一緒になってしまっているような学校も見受けられた。

良くも悪くもシステムの中で、こういう慣例や前例があるよと、意欲のある人たちが頑張りすぎてる?ただ視点がteachingプロセスの視点に偏っている。どう教えるかが強い。

勉強会で出ていたのは、弱小深いや強い部会がある。
いろいろ出尽くしていて、最近はネタに探しに走っているかも?

地域によるものもあるだろうと。

今度ICTが入ってきた時にネタになっていくのかも?
可能性を広げる意味ではいいが、learningプロセスに移っていかないと厳しい?


▼学び合い
早く終わった子が終わってない子に教えるという関係性を強制している感じがあった。 できる子は先に進んでいいのに・・・

小さな在籍校で、全校で学び合いをやった。全校で80人くらい。
それぞれの学年で課題があった。
やっていくと、一人で考えたい子もいるし、考えている中で周りからドーッと来られると集中を欠いてしまう。
学年の大きい子が下を教えるのはいいけれど、下の子が来て上の子に「こんなのもできないの」という声もあり、劣等感になるのでは。

先生の声がけも限定されている。

なんか嫌だった。 不自然な感じがする。 イエナは自然な感じがあった。 上からやらされてる感がある。根底はそこである気がする。 結局同調性が強いられているような感じがする。

戸惑っている子がいれば教師が助けてあげてもいい

「君終わってるんだね、他にやることないの?」とみんなに聞こえるように伝えるくらいしか先生は声がけできない(実際的には?)

教師としては楽なのかもしれないけれど、果たしてそれでいいのか?
その先生(小規模校を指導にきた)にもそういう質問をしたが、納得のいかない回答だった。

少なくとも小学校では違うなぁという感じだった。

イエナの場合は異年齢学級では立場が変わっていく。
困った人が自分から聞きに行く
そういった姿勢が大切にされている
できる子はどんどん進めればいい、できない子は助けを求めお互いに助け合えればいいのになぁ。


自分自身が生徒としてその場にいたと仮定し、なんか嫌だなぁと一番感じたのは、劣等生では冷やかされる感があり、優等生は「またこれか」感がある。バタバタもする。

学級自体が信頼関係で出来上がっていればいいけれど、そうでないと困る。


外部講師など、研究室の人が飛び入りでいけば、非日常だからうまくいくのかもしれないけれど、日常化した時には・・・?

方法だけで取り入れていくのは・・・?


たまたま見た中学の理科は良かった。
その違いは先生がどうしていきたいか、何を目指しているのかがあった。
教科割というのもあるかも?

【学び合いは方法ではなく理念である】とはしている。

理念は悪いものではないけれど、実践の形にしていく時に壁がある。
理念と実践の間を埋める研究が必要。


割と急ピッチに来ている。アクティブラーニングに乗せようとしているのでは。
やり方は上手いとは思うが・・・

AL=学びあい は危険かも

正直怖い。
何のためのALなのか

とりあえずグループでやらせとけばいいだろう、という実践が増えていくのではないかと懸念。

今まで同じ失敗をしてきた。


▼突き詰めると職員室か

教員も多様。どうやって浸透させるか。教員が普段過ごしていく中で、価値観が当たり前になっていく。校長や管理側がそういう意識があって、先生たちにどうやって反映させていくのか、の意識がある。自分たちが目指す学校の理念、理想はどこにあるのか、どうすればいいのかが先生たちで話し合えればいいな。
その辺りを検討して話す時間が大切。それがないような状態で方法論が入ってくるのは・・・

▼教員養成
課題が山積み
教員養成はスタンダードが決まっていない。
どういう教員を育てていくか、そのためにどういう能力が必要なのか。軸が決まっていない。
答申では作る方向には決まっているが、、、
スタンダードが生まれてきたとして、それをどうやって評価していくのかが課題。

そもそもALは先生たちがアクティブでなければできないのでは。
一人だけではどんなに力があってもやっていけないだろう


極端に振れる傾向があるかも。パフォーマンスか放任か。
その間のバランスをとってやっていけたらいい。


▼イエナの先生たちはキャラや個性があまり際立っていない印象
ゆったりしている印象。
KAIさんのクラスでもそれを感じた。
最小限のインストラクション 子供達に任せている イエナに通ずる

先生たち同士の対話の量が圧倒的に違うのでは?

個性がある先生、パフォーマンス、内省的な先生、どんな先生もいつでも対話し合い、お互いを認め合いながらチームになっていく。とがる必要がない。自分の中にある自然体でやれる。
内気でもその先生の特性の中でやれている。
イエナの先生たちは自分が自分らしく、人間らしく生きていることを大切にしている。
信頼と対話ベースの人たちはそういう気風がある気がする。自然な人たちが多い気がする。
子供達もそれをわかる(先生が自然体)。安心できるし、信頼もできる。


▼そもそもイエナに学級経営の考えはあるのだろうか
そもそも教員養成の中には学級経営の考えはあるのではないか。
日本の学級経営とは違う?

Dr.Schaepman schoolが背負って立つもの。ペーターセンの他にも色々な考えが入ってきている。センゲやマイケルフランとか。

経営視点でイエナプランを見るとどうなのか、関心がある。

この学校だけ?全体で共有されている?
何れにしても、現代の現状に合うように進化している。


▼日本の公教育
ベースはどこなの?その上で進化していかないと。
変わらずにいるところもある。対話していけるといい。
その辺りを日本で埋められそうなのは苫野さんのいう学習の個別化や共同化かな?

本質的なところのアプローチがあって共感した。
【自由の相互承認】

学び合いだけでなくいろいろな方法を挙げられていた。


▼振り返り
考えを共有できるのは大切
先生たち同士の対話が大切かなと感じた
職員室が変わっていくのが目先で考えれば、子供達にとってはいいのかな
フリースクールの話題であったが、根本的な違いが少し見えた。仕組みや専門性が見えたのは良かったかも。


▼次回
2/19 (金)8:10-9:00予定
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