とあるマルザンナのココロの旅 ポーランド編⑧ [アルトネリコ・サージュコンチェルト]
8月15日(木)
朝5:45。自然と穏やかに目が覚めた。とても穏やかな気持ちで目が覚めた。ふわっと身体を起こし、窓の外を眺める。白い朝霧に覆われた紛れもない修道院の庭がそこにあった。
静かでひそやかだ。
人の気配もなく、仙人がいるのだとしたらこういうところで霞を食べて生きているのかもしれない、と微睡んではいるが徐々に覚醒していく意識の中でそんなことを思う。
自然と外へと歩み出た。
真夏の季節ではあるがこの季節のEUの朝は寒いこともある。
高原地帯ではないものの眼科を流れる川によって増長された一面に立ち込める朝霧が肌寒さを演出する。
体感12-3℃といったところか。
起きゆく身体へこの白霧はとても心地よく、誰もいない霧に包まれた庭で深呼吸をするとゆっくりと覚醒をすることができた。こんなにも気持ちの良いことがこの世にあるのだろうか、と思うほどに。
五感も研ぎ澄まされ、身体の中の何かが折り目正しくなっていく感覚があった。最近どこかで似た感覚を味わったことがある、と思い返してみると、今年のGWに、やはりトライナリーのガブリエラ絡みで出かけた九州熊本は玉名にある、誕生寺奥の院での経験だった。本殿は玉名駅から近いところにあったが、奥の院はタクシーで20分ほど走らせた山の奥にある。
そこも朝霧の立ち込めるほど早い時間ではなかったが、午前9時院内は凛とした静謐さを保っており、俗っぽく染まり切っている自分のココロが玉砂利の上を歩くたびに、一歩一歩浄化されていく感覚があった。そして奥の院では正人の肩掛けを纏い五重塔で一つ一つの回廊を合唱しながら登って行った時、これもまた俗世から離れていく体験をした。そう、この時の感覚と同じような感じだ。
さて、回想はともかく礼拝堂に入ると一人の僧が祈りを捧げている。
一糸乱れないその姿勢は呼吸もしていないのではないかと思うくらいに静かな祈りは、弓道や武道でゾーンに入る感覚、いわば明鏡止水の境地であった。この時どんな祈りを捧げていたのかはわからない。ペラペラの紙スリッパで聖堂内をペタペタ歩き回ることに気恥ずかしさを感じ、静かにその場を後にした。
(写真は夜に撮ったもの)
6:30になると朝のミサが始まり、地域の人たち車で集まってきた。静かな聖堂で静かに行われるミサ。一番後ろから静かにその様子を見守った。遅れてきた何人かの人は一緒にその場でミサに参加していた。
ゆっくりと朝ごはんを食べたあと、昨日真夜中にかけ登ってきた坂道を穏やかな気持ちで緩やかに降りていく。朝の礼拝に向かう人たちとすれ違いながら。
この道が走り抜けたところだったのか。
8:47 オンタイムでバスは来た。
この時バス停にクラクフのルートマップが貼ってあったのが助かった。
112番に乗れば市内に出られるということはわかるのだが、市内のどのあたりに出て、そこからヴァヴェル城へどうやっていけば良いのか、地球の歩き方だけでは全く分からなかったからだ。
バスに乗る直前に写真でそのマップを保存し、車中で確認する。
どうやら目的地のすぐそばまでこのバスで行くらしい。
112番はそこからまた郊外へと?行くらしく、中央駅からでは112番バスへのアクセスがとても難しいものであった。
確かに地球の歩き方には「市内からバスで30分」と書いてあり、ウソは言っていなかったが、インフォメーションで聞いても分からず、駅のルートマップはトラムのものしかなかったのだから、昨夜はいずれにしても冒険せざるを得なかったのか。
まあ一言「ヴァヴェル城西にあるバス停」とか、「バス停へは市街地に出なければならない」など書いてくれれば良かったのに...と日本人らしく?サービスへのクレームを心の中でつけながらバスに揺られた。
ヴァヴェル城近くのバス停に到着したのは9:20
川の向かいに見える城は優美であった。
時間も9:45のツアー受付だったのでちょうど良い時間だった。
赤い城壁で覆われた城はワルシャワの旧王宮で見た屈強な城壁、バルバカンを想起させられた。
RPGゲームに出てくる赤茶色の城そのものだ。
城門への斜面を少しぎらつき始めた日差しを浴びながら一歩一歩上がっていく。
日本の多くの城もとても立派なものだが、こうしていかにもRPGゲームな王城への道を進んでいくのは、ゲームファンにとってはなかなかにワクワクするものだった。
門前にはもちろん衛兵やモンスター、旅商人などはいなかったが、城門を潜るとそこには美しく広がった庭園と大聖堂、ルネサンス期の様式美あふれる数々の建物がそこにあった。
informationやチケットカウンターには、シーズンということもあり長蛇の列があった。
少し手間はかかったが、事前に予約をしておいて良かったと胸を撫でおろし、reservedカウンターへ行き手続きを済ませる。
ヴァヴェル城は見学をするものごとに細かくエントランスが設定されており、それぞれにパスが必要である。
事前の予約で8つあるうちの「砂の塔」を除く全てに予約したところ、カウンターで1枚のマップと両手開きサイズの通行表をもらった。
個人申し込みではあるが、ツアーというのは、実は入場制限などの理由から手書きの数字の順番に行ってください、との指示が書かれており、それにしたがって見学していくものである。
特に時間の記載があるものはガイドがつくので、その時間に間違いなく行ってくださいとのことだった。
前日の観光もそうであったように、EUの観光地ではメジャーな観光スタイルの印象だ。
さて、素直に観光すれば良いのだが、色々面倒な性格ということもあり、前日に諦めたアウシュビッツ見学の可能性についても考えてみた。
10時に最初の場所の見学が始まる。
カウンターで聞いたところ、途中抜けはできるが払い戻しはできないとのこと。(それはそうだ)
このヴァヴェル城に来た目的はEUで一番と言われるジグムントの鐘
ただし、その鐘のあるカテドラル(大聖堂)は10:30からであり、さらには城とはチケットが異なるから別のチケットオフィスで列にならっで買わなければならないらしい。
外からの写真はガブリエラとともに写真を撮ることはできたので、幸い目的は早くも達成できた。
(何を優先させるべきか。ポーランドにきてアウシュビッツに行かないのはどうなのか)
もう一つの懸念材料は、夕方16時台にヴロツワフへの移動バスを予約していることだ。
今回のヴァヴェル城ツアーについて金額面もそこまで高くはなかったので流してしまっても良いが、問題は時間。
仮に10:30に城を出て11時台のバスでアウシュビッツ到着は13時頃。そこから列に並んで14:30頃にチケットが買えたとして、おそらく入れるのは16時過ぎ。当日券はあるにはあるとのことだった。
そこからツアーが3時間半と考えるとクラクフ駅周辺に戻ってこられるのは21時は過ぎる。
そこからヴロツワフへの移動は電車があるものの終電レベルであり、到着は24時頃。予約しているホテルへのチェックインも難しいかもしれない。
最悪ホテルもジャーして、クラクフでもう1泊し、翌朝にヴロツワフへ向かうのもアリかもしれない。。。
とまあ色々思考の末、前日にある意味の大冒険をしすぎて精神的な疲れもあったのでアウシュビッツ案は捨ててシンプルにヴァヴェル城やクラクフの街を楽しむこととした。(味のしないパンをベンチでかじりながら)
ちなみに、前日に苦労した1日でヴィエリチカ岩塩坑とアウシュビッツを巡ることは可能には可能であるが、余裕を持って二日に分けるか、事前に両方を巡るツアー予約しておくことが賢明だと思います。
はてさて、次またポーランドに来る理由ができた!とポジティブに考えることとし、城のツアーを全てめぐり、大聖堂とジグムントの鐘も別途チケットを購入し、鐘の目の前まで進みその大きさを体感した。
鐘の写真は禁止になっていたので撮影していないが、熊本県の蓮華院の鐘と比べると印象的には熊本に軍配が上がりそうであるが、密度や設計次第では良い勝負であるように感じた。
ヴァヴァル城の写真はそれなりに撮影しているが、別の記事にポーランドの写真はまたまとめたいと思っている。
夕方の高速バスまでクラクフ市内をふらふらと歩き回った。
想像はしていたけれど、シーズンのEUは観光客だらけであった。
ガブちゃん好きそうな場所
クラクフはポーランドの旧王都にもあたり、またユダヤ人たちのディアスポラ(移動の変遷的な意味合い)においても重要な拠点となっているなど見応えのある都市だ。
ワルシャワやクラクフは特に歴史を感じやすい街なのでぜひ訪れてみてほしい。
さて、時間にもなったので高速バスでヴロツワフへ。
flixバスは最近EUで幅をきかせているらしいドイツの会社らしい。
ポーランドの主要都市も結んでいる格安高速バスで、確か8zl...たった230円くらいで3時間高速道路を含めて移動できた。意味がわからないレベルだ。
車体は二階建てで自由席。座席の幅もEU基準だからか狭いわけではなく、wifiも完備されていてそれなりに快適だ。
前日に乗ったようなプライベートバスのかっ飛ばし運転に比べて、当たり前かもしれないが、静かに丁寧な運転だった。
次にEUへ来ることがあれば再度移動手段として検討したい。
この日はバスの到着が遅れてきたのは良いが、待っていた乗り場の電光掲示板が乗車時間になったら突然消えて、バスも来なくてハラハラしたのはもはやご愛嬌。
ポーランドは鉄道も含めて往々にして交通網が安く整備されているのが嬉しい。
ヨーロッパ旅は鉄道も良いが、安く旅をしたいのであれば国内外を結ぶ高速バスもオススメです。
ヴロツワフへ到着
次の目的地は陶器で有名な町ボレスワヴィエツだが、そこまで移動することもできなくはなかったが宿がほとんどないことや、これ以上の移動はまた夜遅くなってしまうこと、町自体も大きくはないので日帰りでも充分という情報もあったことからこのヴロツワフに宿泊することにした。
結論から言えば正解だった。
ボレスワヴィエツは東京都内の人がちょっと遊びに川越や飯能に来るようなイメージ(個人の勝手な)で、移動もローカル線で1時間半ほど。市内も半日あれば楽しめるところだった。
さて、20時前に駅に到着し、予約しているホテルの位置の目処は立ったので道中のどこかで食事をすることにしようと夜の帳が落ち始めた市内を散策しながらお店を探すことにした。
EUの都市に来たらとりあえず中央広場へ、が割と鉄則感があるので向かうことにした。
ここまできてまだしていないこと何かあるかな、と考えてみると、そういえば過去にガイドブックに載っているお店で食事をしたことがなかったなと気がつき、せっかくなので地球の歩き方に載っているお店を探してみることにした。
KURNA CHATAという店だったが、中央広場からほどないところにあったのでなんなく見つけることができた。
ピエロギやバルシチはもう売り切れているとのことであったので、ポークカツレツを頼んでみた。
BIGと書いてあったので、どんなものかと思ったらB5ノートサイズだったので、さすがに驚いた。
味は・・・うん、見た目のままだ。揚げた豚肉!塩胡椒!正直ガイドブックで取り上げるレベルのものではないが、まあEUなので旅行気分を味わうというスパイスを加えて飽き飽きしながら完食した。
ウェイトレスから味はどうだったかと聞かれて一瞬言葉に詰まったが、OKと無難な返事をしてしまった。実際にまずいわけではないので、他に言いようもなかった。
ポーランド料理、基本的にまずくはないが特に美味しいわけでもないというのがこの旅の食事の感想だ。バルシチは美味しかったけれど売り切れるお店も多く、1回しか食べることができなかった。ザワークラフトもドイツで食べたのはまあまあだったけど、ポーランドで食べたものは偶然かもしれないけれど基本的にかなりしょっぱかった。
道中で観た映画の中には、まずくて食えない、的なシーンもあったが、まあプラツキ(じゃがいもと玉ねぎをすりおろして焼いただけ?)を調味料も加えずに適当に作ったものじゃそうなるよなと。
食事を終えて21:45。
レシートを乗せた器がボレスワヴィエツの町が近いことを感じさせてくれた。
ホテルのチェックインも22:00にはできるなと大量のポークで満たされた胃袋を引っさげて夜の街を地図に沿って歩き始めた。
夜風が気持ちいい。
川沿いでウェーイピーポーたちがウェイウェーイしているのを横目に歩きながら、すっかり暗くなった公園を横切る。
そういえば、ポーランドって街灯が少ない。
めっちゃ暗い。
でもそんなこともお構いないしに開かれた公園で屋台(ビールなど売ってる)の周りや思い思いのところに多くの人やカップルが芝生に座ったり、寝そべったりしながら酒と話に酔っている。
スマホの活用もアプリを使うというよりも、みんな電話で誰かと他愛ない話をしている感じだ。
みんな誰かと繋がっていたい...そういう感じだ。
ココロとはなんとじゃまなものなんだろう。
肉体とはなんとじゃまなものなんだろう。
アルトネリコ2のサブリメイション思想が脳裏によぎった。
公園内ではスクリーンが持ち出されていて映画の上映会も行われいた。個人のものっぽい。
さて、公園を通過したらホテルだ。
目の前にWender EDUという目印が出てくるだろう。。。
。。。
出てこなかった。
平和に終われる旅の1日は果たしてあるのだろうか。
やれやれと自身の不甲斐なさにため息をつきつつ、こういう時は闇雲に歩き回ると状況は悪化することは分かっていたので5分ほど歩いたところで自分の位置とホテルの地図を確かめた。
wifiはなかったので街並みとこれまで歩いてきた道のりのみがヒントだ。
川の向こう側で走るトラムの音、通りすがった別のホテル、川沿いにある公園とその川にかかる橋の本数、ちょっと先に見える教会...
これらから総合的に考えると...
ということで、途中から一本外れた道を歩いていることに気がついた。
境界まで行けば地図の場所もはっきりするので、そこを目指して着いたら最終確認をする。
無事に地図に書かれている教会の場所に辿り着き、最終確認をしてホテルのある場所へと到着できた。
が、
そこにホテルはない。
というより、別のホテルがあった。
まさかそんな地図自体が間違っていたというのか!?
夜の22:30に少し取り乱しながら周囲をあらためて探してみても見当たらない。
途方に暮れて、ひとまずそこにあったホテルの受付で聞いてみることにした。
近所ならわかるだろうと思った。
「わからないけど、ちょっと待ってて」とフロントの人は言うと、その場で自分のスマホで調べてくれた。
神はいた。。。
と、旅で人の優しさに触れると自分自身も優しくあろう、といつも思う。
やはり、近くにはあったようで、先程探し回っていた場所だった。
真っ暗で何一つ空いているホテルのようなものは見当たらなかったが、そこにある、と言われたのでお礼を伝えもと来た道を引き返した。
街灯が少なく真っ暗で誰も通らないような路地(狭くはない)をゆっくり目を凝らしながら探してみると、アパートの入り口のようなところに扉は閉まっていたが、Wender EDUと書いてあった!
まさか閉まっては・・・いなかった。
本当に真っ暗だったので全然気がつくことができなかった。
この旅何十回と撫でおろした胸を再度撫でおろし、チェックインに進んだ。
部屋もいい感じだ。
少しゆっくりしようと荷物を下ろした。
最後は色々あったけれど、まあ比較的無事に過ごせた1日だった。
と思っていた。
リュックを開けた。
・・・
何か違和感がある。
湿っている。
雨は降っていなかった。
なぜだ。
落ち着こうとしていた思考がまるで元からの永久機関であったかのように再び動き始める。
もうやめてくれ。
考えるのは疲れたんだ。。
という想いとは裏腹にバックの内側が明らかに湿っている。
ペットボトルの蓋は閉まっている。
が、日本でもスポーツドリンクの仕様などである、飲み口が小さい穴となっており、容器をプッシュするか吸い込むかすれば必要なだけすぐに飲めるタイプのものだった。
ペットボトルの容量は明らかに減っている。
おそらくは50~80mlくらいは減っている。
道中何かのタイミングで口元部分が緩んで、カバンの中でプッシュされる度にトレビアーンな噴水をリュックの中に描いていたのだろう。。。
なんて脚色している場合じゃない!
幸いバッテリーやkindleなどには衣類を入れた袋がカバーしてくれており、大丈夫だった。
若干ガイドブックと手帳、お土産で買ったヴィエリチカ岩塩坑の岩塩が濡れた程度で済んだ。
カバンもまあ一晩あれば乾くだろうと、部屋にあったドライヤーをかけようと荷物を取り出し始めた。
ん・・・
またもや嫌な予感がする。。。
なんか白くて丸い粒が手についてるな。
なんだこれ・・・
荷物を取り出すたびにそれは増えていく。
まるで岩塩坑を掘り進むかのように一歩一歩リュックの奥へと進んでいく。
奥底にたどり着いた。
そこにはなんと美しい煌びやかな岩塩が目の前に広く広く広がっていたのだ!
まるで塩の絨毯のよう・・・!
バックの底が塩まみれになっているではないか!
WHAT!?!?
お土産で購入した岩塩は一切封を開けていないのになぜ!?
よくみたら入れ物のフチ部分が水にしみて凹んでいる。
開封の蓋が開きかかっていたのだ!
日本で言うとマジックソルトの容器みたいに、ボール紙パックのような容器だった。
EUの買い物で買い物袋をもらえることはまずない。
スーパーなどではレジ前に有料で売っている程度で、観光地のお土産などは基本的にマイバッグだ。
なので適当にリュックに放り込んでいた岩塩が、様々なプレッシャー(圧)とトレビアーンな噴水によって堅牢だったろうボール紙の容器からウェルカムしていたのだ。
完全に容器の口部分がめり込んでいて、リュックの底には塩度の高い海が広がっていた。
そういえば、コミケほかの時にお土産で皆さんに配っていたのは、もちろんもう一つの無事だったものなのでご安心を。
二つ買っておいて良かった。。。というか、ショックすぎてもう何も覚えていない。
おそらくリュック底に広がった岩塩を手でかき集めて処分したり、ドライヤーで乾かしたりしたと思う。
この記事を書くベースにしている当時の日記もそれ以上のことを書けていない。
そうして今夜もポーランドの夜は老けていくのだった。
誤字変換だけど、そりゃもう老けるわい!
朝5:45。自然と穏やかに目が覚めた。とても穏やかな気持ちで目が覚めた。ふわっと身体を起こし、窓の外を眺める。白い朝霧に覆われた紛れもない修道院の庭がそこにあった。
静かでひそやかだ。
人の気配もなく、仙人がいるのだとしたらこういうところで霞を食べて生きているのかもしれない、と微睡んではいるが徐々に覚醒していく意識の中でそんなことを思う。
自然と外へと歩み出た。
真夏の季節ではあるがこの季節のEUの朝は寒いこともある。
高原地帯ではないものの眼科を流れる川によって増長された一面に立ち込める朝霧が肌寒さを演出する。
体感12-3℃といったところか。
起きゆく身体へこの白霧はとても心地よく、誰もいない霧に包まれた庭で深呼吸をするとゆっくりと覚醒をすることができた。こんなにも気持ちの良いことがこの世にあるのだろうか、と思うほどに。
五感も研ぎ澄まされ、身体の中の何かが折り目正しくなっていく感覚があった。最近どこかで似た感覚を味わったことがある、と思い返してみると、今年のGWに、やはりトライナリーのガブリエラ絡みで出かけた九州熊本は玉名にある、誕生寺奥の院での経験だった。本殿は玉名駅から近いところにあったが、奥の院はタクシーで20分ほど走らせた山の奥にある。
そこも朝霧の立ち込めるほど早い時間ではなかったが、午前9時院内は凛とした静謐さを保っており、俗っぽく染まり切っている自分のココロが玉砂利の上を歩くたびに、一歩一歩浄化されていく感覚があった。そして奥の院では正人の肩掛けを纏い五重塔で一つ一つの回廊を合唱しながら登って行った時、これもまた俗世から離れていく体験をした。そう、この時の感覚と同じような感じだ。
さて、回想はともかく礼拝堂に入ると一人の僧が祈りを捧げている。
一糸乱れないその姿勢は呼吸もしていないのではないかと思うくらいに静かな祈りは、弓道や武道でゾーンに入る感覚、いわば明鏡止水の境地であった。この時どんな祈りを捧げていたのかはわからない。ペラペラの紙スリッパで聖堂内をペタペタ歩き回ることに気恥ずかしさを感じ、静かにその場を後にした。
(写真は夜に撮ったもの)
6:30になると朝のミサが始まり、地域の人たち車で集まってきた。静かな聖堂で静かに行われるミサ。一番後ろから静かにその様子を見守った。遅れてきた何人かの人は一緒にその場でミサに参加していた。
ゆっくりと朝ごはんを食べたあと、昨日真夜中にかけ登ってきた坂道を穏やかな気持ちで緩やかに降りていく。朝の礼拝に向かう人たちとすれ違いながら。
この道が走り抜けたところだったのか。
8:47 オンタイムでバスは来た。
この時バス停にクラクフのルートマップが貼ってあったのが助かった。
112番に乗れば市内に出られるということはわかるのだが、市内のどのあたりに出て、そこからヴァヴェル城へどうやっていけば良いのか、地球の歩き方だけでは全く分からなかったからだ。
バスに乗る直前に写真でそのマップを保存し、車中で確認する。
どうやら目的地のすぐそばまでこのバスで行くらしい。
112番はそこからまた郊外へと?行くらしく、中央駅からでは112番バスへのアクセスがとても難しいものであった。
確かに地球の歩き方には「市内からバスで30分」と書いてあり、ウソは言っていなかったが、インフォメーションで聞いても分からず、駅のルートマップはトラムのものしかなかったのだから、昨夜はいずれにしても冒険せざるを得なかったのか。
まあ一言「ヴァヴェル城西にあるバス停」とか、「バス停へは市街地に出なければならない」など書いてくれれば良かったのに...と日本人らしく?サービスへのクレームを心の中でつけながらバスに揺られた。
ヴァヴェル城近くのバス停に到着したのは9:20
川の向かいに見える城は優美であった。
時間も9:45のツアー受付だったのでちょうど良い時間だった。
赤い城壁で覆われた城はワルシャワの旧王宮で見た屈強な城壁、バルバカンを想起させられた。
RPGゲームに出てくる赤茶色の城そのものだ。
城門への斜面を少しぎらつき始めた日差しを浴びながら一歩一歩上がっていく。
日本の多くの城もとても立派なものだが、こうしていかにもRPGゲームな王城への道を進んでいくのは、ゲームファンにとってはなかなかにワクワクするものだった。
門前にはもちろん衛兵やモンスター、旅商人などはいなかったが、城門を潜るとそこには美しく広がった庭園と大聖堂、ルネサンス期の様式美あふれる数々の建物がそこにあった。
informationやチケットカウンターには、シーズンということもあり長蛇の列があった。
少し手間はかかったが、事前に予約をしておいて良かったと胸を撫でおろし、reservedカウンターへ行き手続きを済ませる。
ヴァヴェル城は見学をするものごとに細かくエントランスが設定されており、それぞれにパスが必要である。
事前の予約で8つあるうちの「砂の塔」を除く全てに予約したところ、カウンターで1枚のマップと両手開きサイズの通行表をもらった。
個人申し込みではあるが、ツアーというのは、実は入場制限などの理由から手書きの数字の順番に行ってください、との指示が書かれており、それにしたがって見学していくものである。
特に時間の記載があるものはガイドがつくので、その時間に間違いなく行ってくださいとのことだった。
前日の観光もそうであったように、EUの観光地ではメジャーな観光スタイルの印象だ。
さて、素直に観光すれば良いのだが、色々面倒な性格ということもあり、前日に諦めたアウシュビッツ見学の可能性についても考えてみた。
10時に最初の場所の見学が始まる。
カウンターで聞いたところ、途中抜けはできるが払い戻しはできないとのこと。(それはそうだ)
このヴァヴェル城に来た目的はEUで一番と言われるジグムントの鐘
ただし、その鐘のあるカテドラル(大聖堂)は10:30からであり、さらには城とはチケットが異なるから別のチケットオフィスで列にならっで買わなければならないらしい。
外からの写真はガブリエラとともに写真を撮ることはできたので、幸い目的は早くも達成できた。
(何を優先させるべきか。ポーランドにきてアウシュビッツに行かないのはどうなのか)
もう一つの懸念材料は、夕方16時台にヴロツワフへの移動バスを予約していることだ。
今回のヴァヴェル城ツアーについて金額面もそこまで高くはなかったので流してしまっても良いが、問題は時間。
仮に10:30に城を出て11時台のバスでアウシュビッツ到着は13時頃。そこから列に並んで14:30頃にチケットが買えたとして、おそらく入れるのは16時過ぎ。当日券はあるにはあるとのことだった。
そこからツアーが3時間半と考えるとクラクフ駅周辺に戻ってこられるのは21時は過ぎる。
そこからヴロツワフへの移動は電車があるものの終電レベルであり、到着は24時頃。予約しているホテルへのチェックインも難しいかもしれない。
最悪ホテルもジャーして、クラクフでもう1泊し、翌朝にヴロツワフへ向かうのもアリかもしれない。。。
とまあ色々思考の末、前日にある意味の大冒険をしすぎて精神的な疲れもあったのでアウシュビッツ案は捨ててシンプルにヴァヴェル城やクラクフの街を楽しむこととした。(味のしないパンをベンチでかじりながら)
ちなみに、前日に苦労した1日でヴィエリチカ岩塩坑とアウシュビッツを巡ることは可能には可能であるが、余裕を持って二日に分けるか、事前に両方を巡るツアー予約しておくことが賢明だと思います。
はてさて、次またポーランドに来る理由ができた!とポジティブに考えることとし、城のツアーを全てめぐり、大聖堂とジグムントの鐘も別途チケットを購入し、鐘の目の前まで進みその大きさを体感した。
鐘の写真は禁止になっていたので撮影していないが、熊本県の蓮華院の鐘と比べると印象的には熊本に軍配が上がりそうであるが、密度や設計次第では良い勝負であるように感じた。
ヴァヴァル城の写真はそれなりに撮影しているが、別の記事にポーランドの写真はまたまとめたいと思っている。
夕方の高速バスまでクラクフ市内をふらふらと歩き回った。
想像はしていたけれど、シーズンのEUは観光客だらけであった。
ガブちゃん好きそうな場所
クラクフはポーランドの旧王都にもあたり、またユダヤ人たちのディアスポラ(移動の変遷的な意味合い)においても重要な拠点となっているなど見応えのある都市だ。
ワルシャワやクラクフは特に歴史を感じやすい街なのでぜひ訪れてみてほしい。
さて、時間にもなったので高速バスでヴロツワフへ。
flixバスは最近EUで幅をきかせているらしいドイツの会社らしい。
ポーランドの主要都市も結んでいる格安高速バスで、確か8zl...たった230円くらいで3時間高速道路を含めて移動できた。意味がわからないレベルだ。
車体は二階建てで自由席。座席の幅もEU基準だからか狭いわけではなく、wifiも完備されていてそれなりに快適だ。
前日に乗ったようなプライベートバスのかっ飛ばし運転に比べて、当たり前かもしれないが、静かに丁寧な運転だった。
次にEUへ来ることがあれば再度移動手段として検討したい。
この日はバスの到着が遅れてきたのは良いが、待っていた乗り場の電光掲示板が乗車時間になったら突然消えて、バスも来なくてハラハラしたのはもはやご愛嬌。
ポーランドは鉄道も含めて往々にして交通網が安く整備されているのが嬉しい。
ヨーロッパ旅は鉄道も良いが、安く旅をしたいのであれば国内外を結ぶ高速バスもオススメです。
ヴロツワフへ到着
次の目的地は陶器で有名な町ボレスワヴィエツだが、そこまで移動することもできなくはなかったが宿がほとんどないことや、これ以上の移動はまた夜遅くなってしまうこと、町自体も大きくはないので日帰りでも充分という情報もあったことからこのヴロツワフに宿泊することにした。
結論から言えば正解だった。
ボレスワヴィエツは東京都内の人がちょっと遊びに川越や飯能に来るようなイメージ(個人の勝手な)で、移動もローカル線で1時間半ほど。市内も半日あれば楽しめるところだった。
さて、20時前に駅に到着し、予約しているホテルの位置の目処は立ったので道中のどこかで食事をすることにしようと夜の帳が落ち始めた市内を散策しながらお店を探すことにした。
EUの都市に来たらとりあえず中央広場へ、が割と鉄則感があるので向かうことにした。
ここまできてまだしていないこと何かあるかな、と考えてみると、そういえば過去にガイドブックに載っているお店で食事をしたことがなかったなと気がつき、せっかくなので地球の歩き方に載っているお店を探してみることにした。
KURNA CHATAという店だったが、中央広場からほどないところにあったのでなんなく見つけることができた。
ピエロギやバルシチはもう売り切れているとのことであったので、ポークカツレツを頼んでみた。
BIGと書いてあったので、どんなものかと思ったらB5ノートサイズだったので、さすがに驚いた。
味は・・・うん、見た目のままだ。揚げた豚肉!塩胡椒!正直ガイドブックで取り上げるレベルのものではないが、まあEUなので旅行気分を味わうというスパイスを加えて飽き飽きしながら完食した。
ウェイトレスから味はどうだったかと聞かれて一瞬言葉に詰まったが、OKと無難な返事をしてしまった。実際にまずいわけではないので、他に言いようもなかった。
ポーランド料理、基本的にまずくはないが特に美味しいわけでもないというのがこの旅の食事の感想だ。バルシチは美味しかったけれど売り切れるお店も多く、1回しか食べることができなかった。ザワークラフトもドイツで食べたのはまあまあだったけど、ポーランドで食べたものは偶然かもしれないけれど基本的にかなりしょっぱかった。
道中で観た映画の中には、まずくて食えない、的なシーンもあったが、まあプラツキ(じゃがいもと玉ねぎをすりおろして焼いただけ?)を調味料も加えずに適当に作ったものじゃそうなるよなと。
食事を終えて21:45。
レシートを乗せた器がボレスワヴィエツの町が近いことを感じさせてくれた。
ホテルのチェックインも22:00にはできるなと大量のポークで満たされた胃袋を引っさげて夜の街を地図に沿って歩き始めた。
夜風が気持ちいい。
川沿いでウェーイピーポーたちがウェイウェーイしているのを横目に歩きながら、すっかり暗くなった公園を横切る。
そういえば、ポーランドって街灯が少ない。
めっちゃ暗い。
でもそんなこともお構いないしに開かれた公園で屋台(ビールなど売ってる)の周りや思い思いのところに多くの人やカップルが芝生に座ったり、寝そべったりしながら酒と話に酔っている。
スマホの活用もアプリを使うというよりも、みんな電話で誰かと他愛ない話をしている感じだ。
みんな誰かと繋がっていたい...そういう感じだ。
ココロとはなんとじゃまなものなんだろう。
肉体とはなんとじゃまなものなんだろう。
アルトネリコ2のサブリメイション思想が脳裏によぎった。
公園内ではスクリーンが持ち出されていて映画の上映会も行われいた。個人のものっぽい。
さて、公園を通過したらホテルだ。
目の前にWender EDUという目印が出てくるだろう。。。
。。。
出てこなかった。
平和に終われる旅の1日は果たしてあるのだろうか。
やれやれと自身の不甲斐なさにため息をつきつつ、こういう時は闇雲に歩き回ると状況は悪化することは分かっていたので5分ほど歩いたところで自分の位置とホテルの地図を確かめた。
wifiはなかったので街並みとこれまで歩いてきた道のりのみがヒントだ。
川の向こう側で走るトラムの音、通りすがった別のホテル、川沿いにある公園とその川にかかる橋の本数、ちょっと先に見える教会...
これらから総合的に考えると...
ということで、途中から一本外れた道を歩いていることに気がついた。
境界まで行けば地図の場所もはっきりするので、そこを目指して着いたら最終確認をする。
無事に地図に書かれている教会の場所に辿り着き、最終確認をしてホテルのある場所へと到着できた。
が、
そこにホテルはない。
というより、別のホテルがあった。
まさかそんな地図自体が間違っていたというのか!?
夜の22:30に少し取り乱しながら周囲をあらためて探してみても見当たらない。
途方に暮れて、ひとまずそこにあったホテルの受付で聞いてみることにした。
近所ならわかるだろうと思った。
「わからないけど、ちょっと待ってて」とフロントの人は言うと、その場で自分のスマホで調べてくれた。
神はいた。。。
と、旅で人の優しさに触れると自分自身も優しくあろう、といつも思う。
やはり、近くにはあったようで、先程探し回っていた場所だった。
真っ暗で何一つ空いているホテルのようなものは見当たらなかったが、そこにある、と言われたのでお礼を伝えもと来た道を引き返した。
街灯が少なく真っ暗で誰も通らないような路地(狭くはない)をゆっくり目を凝らしながら探してみると、アパートの入り口のようなところに扉は閉まっていたが、Wender EDUと書いてあった!
まさか閉まっては・・・いなかった。
本当に真っ暗だったので全然気がつくことができなかった。
この旅何十回と撫でおろした胸を再度撫でおろし、チェックインに進んだ。
部屋もいい感じだ。
少しゆっくりしようと荷物を下ろした。
最後は色々あったけれど、まあ比較的無事に過ごせた1日だった。
と思っていた。
リュックを開けた。
・・・
何か違和感がある。
湿っている。
雨は降っていなかった。
なぜだ。
落ち着こうとしていた思考がまるで元からの永久機関であったかのように再び動き始める。
もうやめてくれ。
考えるのは疲れたんだ。。
という想いとは裏腹にバックの内側が明らかに湿っている。
ペットボトルの蓋は閉まっている。
が、日本でもスポーツドリンクの仕様などである、飲み口が小さい穴となっており、容器をプッシュするか吸い込むかすれば必要なだけすぐに飲めるタイプのものだった。
ペットボトルの容量は明らかに減っている。
おそらくは50~80mlくらいは減っている。
道中何かのタイミングで口元部分が緩んで、カバンの中でプッシュされる度にトレビアーンな噴水をリュックの中に描いていたのだろう。。。
なんて脚色している場合じゃない!
幸いバッテリーやkindleなどには衣類を入れた袋がカバーしてくれており、大丈夫だった。
若干ガイドブックと手帳、お土産で買ったヴィエリチカ岩塩坑の岩塩が濡れた程度で済んだ。
カバンもまあ一晩あれば乾くだろうと、部屋にあったドライヤーをかけようと荷物を取り出し始めた。
ん・・・
またもや嫌な予感がする。。。
なんか白くて丸い粒が手についてるな。
なんだこれ・・・
荷物を取り出すたびにそれは増えていく。
まるで岩塩坑を掘り進むかのように一歩一歩リュックの奥へと進んでいく。
奥底にたどり着いた。
そこにはなんと美しい煌びやかな岩塩が目の前に広く広く広がっていたのだ!
まるで塩の絨毯のよう・・・!
バックの底が塩まみれになっているではないか!
WHAT!?!?
お土産で購入した岩塩は一切封を開けていないのになぜ!?
よくみたら入れ物のフチ部分が水にしみて凹んでいる。
開封の蓋が開きかかっていたのだ!
日本で言うとマジックソルトの容器みたいに、ボール紙パックのような容器だった。
EUの買い物で買い物袋をもらえることはまずない。
スーパーなどではレジ前に有料で売っている程度で、観光地のお土産などは基本的にマイバッグだ。
なので適当にリュックに放り込んでいた岩塩が、様々なプレッシャー(圧)とトレビアーンな噴水によって堅牢だったろうボール紙の容器からウェルカムしていたのだ。
完全に容器の口部分がめり込んでいて、リュックの底には塩度の高い海が広がっていた。
そういえば、コミケほかの時にお土産で皆さんに配っていたのは、もちろんもう一つの無事だったものなのでご安心を。
二つ買っておいて良かった。。。というか、ショックすぎてもう何も覚えていない。
おそらくリュック底に広がった岩塩を手でかき集めて処分したり、ドライヤーで乾かしたりしたと思う。
この記事を書くベースにしている当時の日記もそれ以上のことを書けていない。
そうして今夜もポーランドの夜は老けていくのだった。
誤字変換だけど、そりゃもう老けるわい!