Angel Beats!の感想 [animation]
「時に理不尽でも 尊いもの、それが人生」(公式HPより引用)
Angel Beats!を初めて観た。
key作品はいままでもいくらか観てきている。
この作品の観る前の印象は至極私的だけれど、「安く全巻売ってるなぁ」と中古屋に何年も通う経験からそういったものだった。
いくらかの知り合いが「これは観ておいたほうがいい」と薦めてもくれていた。
久しぶりに自宅に引きこもった休みの夜、この作品をNetflixで全話鑑賞をした(13話まで)
Netflixは結構便利で、気軽に退会や再入会もできるし、アニメ以外も面白いものが割りとあるので時々活用している。アプリにしておけば、移動中にも気軽に鑑賞できるのも強み。
さて感想。
この作品のテーマは一番最初にもあるように人生ということだった。
理不尽なことに出会い、青春時代を謳歌できなかった若者たちに死後の世界として舞台となる学園が設置されている。ある意味では現世魂の救済場所的なところ。
いうなれば、そこに送り込まれた人間は、その場所で生きていた世界やこの新しい世界で心残りを解消し、成仏(魂の卒業)をしていく。
詳しくはHPを。
VisualArt's/Key VisualArt's/Key/Angel Beats! Project
https://www.angelbeats.jp/index.html
個人的に思ったところは、「卒業」ということだった。
個人的なことではあるが、2018年の夏コミC94において「卒業文集」というタイトルでアニメ演出やコンテンツ論などを本として出させてもらった。
なぜ卒業文集というタイトルなのか。卒業とはなんなのか。
実はこれについて最近考えていることも、Angel Beats!を観たいまの感想に関連してきていることは否めない。
私情はともかくとして、この「卒業」という視点からこの作品を観てみると、個人的にはとてもわかりやすかった。
それはシンプルに「出逢いー成長しー別れる」というもの。
これは人ひとりの人生において、ごく自然なこと。またひいては、スピリチュアルな視点から考えれば、大いなる意志のもとで魂のレベルにおいても自然なことと言えるだろう。
多くの学園もののアニメにおいても卒業は描かれるが、脚本家やストーリーによって、「卒業」自体がテーマになることはあまり多くはないかもしれない。
このシンプルなプロセスがこの作品において、とても自然な形で表されていたというのが一番の印象だった。
早い段階においては岩沢が、そして音無の気づきからその行動によってユイが卒業を果たしていった。
なんというか、麻枝さんは「別れを利用」していない。「別れそのものが必然であり祝福」という感じを受ける。
たしかに別れは悲しい。最後の奏と音無の別れは悲しかった。
他の作品にも「悲しい別れ」「祝福を感じる別れ」はある。
では、何がAngel Beats!では違ったのだろう。
いまもなお考えているが、やはりAngel Beats!における「別れ」は「卒業と祝福」にあるのだろうと思う。
先ほどにも書いているように「出逢いー成長しー別れる」という、人生の中にある卒業のプロセス、そしてそこでの経験を胸に次へと羽ばたいていこうとするキャラクターたちへの祝福が圧倒的に感じられた。ゲームの方はプレイしていないが、おそらく各キャラクターのそういった模様が丁寧に描かれてことだろう。
そして死や生まれ変わりなど、見えざる神的存在に対する抗いも人間としての選択の自由にある。ましてや相当に理不尽な人生を経験してきた人間たちの勇気をもった行動でもある。
しかしそれすらも俯瞰的な視点からみれば、「成長のプロセス」だ。
それを愛をもって見守る。
だから天使の行動をディフェンスに純化させていた。
理不尽な経験をもつ魂の集う楽園的学園のその時間概念を超越した永続性の視点からみれば、この13話に収まっているストーリーも、第○期生たちの話にすぎない。
自然倫理のプロセスにおいて、理不尽経験をもつ魂の救済場所(外的ではなく、内的なもの・・・つまり自分たちから気づきを得るためのきっかけを与えうる場所)としてこの学園があったのだろう。
Angel Beats! 天使の鼓動
キャラクターたちの魂の躍動・鼓動、奏と音無鼓動の意味もあるだろうが、もっと大きな存在や終わらない音楽的叙事詩として宇宙ー魂レベルの中における1天使(学園空間)の一瞬の煌めきという意味ももたせられるのかもしれない。
最後に、私たちヒトは生きていく。「出逢いー成長ー別れ」を繰り返しながら。
この作品を観て改めて「別れ」を意識しながら、成長を重ねていくこと、ちゃんと別れて次の出逢いもまた大切にしていくことを学んだ気がする。
Angel Beats! 7 【完全生産限定版】 [DVD]
- 出版社/メーカー: アニプレックス
- メディア: DVD
Angel Beats!を初めて観た。
key作品はいままでもいくらか観てきている。
この作品の観る前の印象は至極私的だけれど、「安く全巻売ってるなぁ」と中古屋に何年も通う経験からそういったものだった。
いくらかの知り合いが「これは観ておいたほうがいい」と薦めてもくれていた。
久しぶりに自宅に引きこもった休みの夜、この作品をNetflixで全話鑑賞をした(13話まで)
Netflixは結構便利で、気軽に退会や再入会もできるし、アニメ以外も面白いものが割りとあるので時々活用している。アプリにしておけば、移動中にも気軽に鑑賞できるのも強み。
さて感想。
この作品のテーマは一番最初にもあるように人生ということだった。
理不尽なことに出会い、青春時代を謳歌できなかった若者たちに死後の世界として舞台となる学園が設置されている。ある意味では現世魂の救済場所的なところ。
いうなれば、そこに送り込まれた人間は、その場所で生きていた世界やこの新しい世界で心残りを解消し、成仏(魂の卒業)をしていく。
詳しくはHPを。
VisualArt's/Key VisualArt's/Key/Angel Beats! Project
https://www.angelbeats.jp/index.html
個人的に思ったところは、「卒業」ということだった。
個人的なことではあるが、2018年の夏コミC94において「卒業文集」というタイトルでアニメ演出やコンテンツ論などを本として出させてもらった。
なぜ卒業文集というタイトルなのか。卒業とはなんなのか。
実はこれについて最近考えていることも、Angel Beats!を観たいまの感想に関連してきていることは否めない。
私情はともかくとして、この「卒業」という視点からこの作品を観てみると、個人的にはとてもわかりやすかった。
それはシンプルに「出逢いー成長しー別れる」というもの。
これは人ひとりの人生において、ごく自然なこと。またひいては、スピリチュアルな視点から考えれば、大いなる意志のもとで魂のレベルにおいても自然なことと言えるだろう。
多くの学園もののアニメにおいても卒業は描かれるが、脚本家やストーリーによって、「卒業」自体がテーマになることはあまり多くはないかもしれない。
このシンプルなプロセスがこの作品において、とても自然な形で表されていたというのが一番の印象だった。
早い段階においては岩沢が、そして音無の気づきからその行動によってユイが卒業を果たしていった。
なんというか、麻枝さんは「別れを利用」していない。「別れそのものが必然であり祝福」という感じを受ける。
たしかに別れは悲しい。最後の奏と音無の別れは悲しかった。
他の作品にも「悲しい別れ」「祝福を感じる別れ」はある。
では、何がAngel Beats!では違ったのだろう。
いまもなお考えているが、やはりAngel Beats!における「別れ」は「卒業と祝福」にあるのだろうと思う。
先ほどにも書いているように「出逢いー成長しー別れる」という、人生の中にある卒業のプロセス、そしてそこでの経験を胸に次へと羽ばたいていこうとするキャラクターたちへの祝福が圧倒的に感じられた。ゲームの方はプレイしていないが、おそらく各キャラクターのそういった模様が丁寧に描かれてことだろう。
そして死や生まれ変わりなど、見えざる神的存在に対する抗いも人間としての選択の自由にある。ましてや相当に理不尽な人生を経験してきた人間たちの勇気をもった行動でもある。
しかしそれすらも俯瞰的な視点からみれば、「成長のプロセス」だ。
それを愛をもって見守る。
だから天使の行動をディフェンスに純化させていた。
理不尽な経験をもつ魂の集う楽園的学園のその時間概念を超越した永続性の視点からみれば、この13話に収まっているストーリーも、第○期生たちの話にすぎない。
自然倫理のプロセスにおいて、理不尽経験をもつ魂の救済場所(外的ではなく、内的なもの・・・つまり自分たちから気づきを得るためのきっかけを与えうる場所)としてこの学園があったのだろう。
Angel Beats! 天使の鼓動
キャラクターたちの魂の躍動・鼓動、奏と音無鼓動の意味もあるだろうが、もっと大きな存在や終わらない音楽的叙事詩として宇宙ー魂レベルの中における1天使(学園空間)の一瞬の煌めきという意味ももたせられるのかもしれない。
最後に、私たちヒトは生きていく。「出逢いー成長ー別れ」を繰り返しながら。
この作品を観て改めて「別れ」を意識しながら、成長を重ねていくこと、ちゃんと別れて次の出逢いもまた大切にしていくことを学んだ気がする。
2018-09-19 01:43
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