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ココロココネクトとアルトネリコと京アニと [animation]

最近振り返ってみて、このジャンルの特定の作品群には自分の目指す最高の思考法とモデル、そしてクリエイティブな人間(集団)の在り方があるのだ、と思うに至りました。名作はたくさんあるけど、このことに関して言えばあえて固有名詞を挙げたい。

・ココロコネクトシリーズ著 庵田定夏
・アルトネリコシリーズ制作 土屋暁
・業界最大手 京都アニメーション

2013年の振り返りのときに、今後の生きるバイブルになるだろうと書いたココロコネクト。2013は本当にこの作品と出逢ったことが大きかった。

ココロコネクト ヒトランダム (ファミ通文庫)

ココロコネクト ヒトランダム (ファミ通文庫)

  • 作者: 庵田 定夏
  • 出版社/メーカー: エンターブレイン
  • 発売日: 2010/01/30
  • メディア: 文庫


同様に2014年の大きな出逢いは、GUSTから出ているアルトネリコシリーズ

アルトネリコ 世界の終わりで詩い続ける少女 PlayStation 2 the Best

アルトネリコ 世界の終わりで詩い続ける少女 PlayStation 2 the Best

  • 出版社/メーカー: バンプレスト
  • メディア: Video Game


この作品は大学生の時に最初のものが出ていてプレイし、そのときも人生を揺るがす(実際に作曲家になろうと進路に影響した)影響を受けたのだけれど、それ以来続編はプレイしておらず、2014年の頭に続編プレイをしました。

アルトネリコ2 世界に響く少女たちの創造詩

アルトネリコ2 世界に響く少女たちの創造詩

  • 出版社/メーカー: バンプレスト
  • メディア: Video Game



アルトネリコ3 世界終焉の引鉄は少女の詩が弾く (特典なし)

アルトネリコ3 世界終焉の引鉄は少女の詩が弾く (特典なし)

  • 出版社/メーカー: バンプレスト
  • メディア: Video Game


そして、2014年の大きな出逢いとしては3つ目の京都アニメーションの存在。
http://www.kyotoanimation.co.jp/

おそらくこの会社がなければここまでアニメ復帰を果たすことはなかっただろうと。「いいアニメはいいよなぁ」くらいで終わっていたかもしれない。

ひとつひとつのことを挙げていたらキリがないので、エッセンスを。

①理想を愚直に目指していくこと(真っすぐであること)
②そこに関わる人たちやその熱をとても大切にしていること
③生まれでる作品のキャラクターや世界を本当に大切にしていること
④ひとつのことに対して全力でひたむきに熱をもって取り組んでいること
⑤小さくまとまらず社会に(少なくとも作品内の世界に)波及していっていること

ここでは気力の関係上(笑)①と②について。

これらは作品内の出来事も、制作側のことも含めて言えている。いや、そもそもこういった作品は、こういうことを目指している大人からしか生まれてこないとも思う。

①【理想を愚直に目指していくこと】
これは、二項対立の束縛から脱却できる、今のところ僕の経験の中にある唯一のアイデアだった。

小学生時代からいろんなアニメやゲームで主人公達が絶体絶命のピンチに陥ったときに必ずと言っていいほど、「誰かが犠牲になって主人公達が救われる」シーンと出くわした。当時はそこまで深くは考えていなかったとは思うが、たぶん違和感はあったと思う。

「本当にみんなが助かるハッピーエンドはなかったの?」って。

犠牲になったキャラたちのその後の救いを描いている作品も多くあったが、おそらく感情移入の激しい?自分としては「無理矢理納得させられている」感があった。
中学時代にこれらのジャンルに傾倒していたとき、なんてことはない、時折感じる違和感はここにあったのかもしれない。

「娯楽」と割り切れば済む話かもしれないが、中学生にそれは無理な話だし、今これを書いていて急に沸き上がった感情の話によると、「今でも娯楽と割り切るのは無理」みたいだ。

それはおそらく「割り切る」というのは社会に対する「自己諦念」(あきらめ)だからかもしれない。
これは先日Twitterでつぶやいたが、本来の「妥協」というものは異なる他者と互いの理想を求めて生産的な意味で折り合いをつけていくことだと思うのだが、そうではない妥協はこの「諦念」ではなかろうか。

脱線した。

先に挙げた理想を目指す価値観、というのは「誰も犠牲にならない」「みんな幸せになる」ということについて、真面目に追究しているということ。

ミクロなことで言えば、ぶつかりあってもうどうにもならないときなど、その解法として、相手を想うほかに、「正直である」ということも共通項にあるだろう。そもそも人は他者と対立するときに、その人と対立することが目的ではない。
また、大きくみると、例えば「目の前の人が救えなくて、何が救いだ!」「1人の命と世界全体の命のどちらが大切なんだ!」というような対立。

これもよくある。某刑事ドラマや時代劇でもあった。このときみなさんならどう思います?

①「おれは前者」
②「わたしは後者」
③「そもそもけんかしてるやつらに救えるのか?」
④「もめてないで早くしろよ」
⑤「やれやれ、まったくだ」

僕の意見は
高校時代①→大学時代③④→大卒⑤→②→①→②→③④⑤・・・とずっとループしてきました。たぶん27歳くらいまで。

でもある時「一人も救って世界も救えたら最高なんじゃない?」と想いました。たぶん、学生時代に思ったこともあるだろうけど、埋もれていくんですよねぇ、自分とその周りの社会に。そんなの理想論だ、どうすんだよ、って矛先がこちらに向けられたりね。
それを経験すると、「そうじゃない!」とは思うけど、だまっておこう...とか、逆に一生懸命理屈を説明したり、解決策をひねりだしたりもしました。ただ上手くいかなかった。一人だったから。

こういう対立のおこる根本を考えていくとあることに気がつきます。

それは、実は同じ仲間なのに協力や共有をしていないこと。
個人、或いは個立した集団のみでは限界があるのにも関わらず、それを自分たちのみで実行していこうとするから網羅が出来ない、理想にいけない。(こういう人たちも元はそういう理想を目指したけれど何度も挫折した人も多い)。
そしてそれに付属する多くの「構成員」はリーダーにぶら下がる。(これは何度も感情や行動を黙殺することを訓練させられ、波風を立てない平穏を望むことからの産物。最近大人になるほど環境適応能力が自覚的に高くなったと思う。嫌な環境もすぐになれてしまい、自分のペースをみつけることができる。これは悪いことじゃないけれど、理想の火種をかき消してしまうのはある。しかし、そこにもアイデンティティーはあるので、そこを否定してはいけない) 自分勝手な記事ですみません。。

()内でも書いたように、誰しもが理想を追い求めるものではないので、押し付けないように気をつけたいところ。ただ、僕が思うのは、人は誰しも本質的にwell-being、つまり、より良く生きたいと想っているのではないかということ。

最初の例に戻ると、(絶体絶命の例のこと)
まぁ、登場人物たちの心情になり、絶望の淵でそこまで思考は出来ないにしても、そこに至るまでのプロセスにはもっと思考できたはずなんだ。
制作者にそもそもそういう考えがないと無理だったり、考えがあっても油断をしていると(思考を中途半端にする)、諦念の根に作品を絡めとられてしまう。犠牲になるのはその作品に出てくる世界や登場人物だ。

昔から勝ち負けにはそこまでこだわらなかったけど、あきらめるのが悔しくて嫌いだった自分にはこの諦念の価値観は受容できなかった。

だから【理想を愚直に目指していくこと】はその反面教師として燦然と輝いているイメージ。
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一人では出来ない、でも力を合わせればできる、そのために出来ることをようやく30も近くなって先の作品群や、教育の現場に置いて冷静に模索し始めることができた気がする。


②【そこに関わる人たちやその熱をとても大切にしていること】
これは、制作が集団であるならその人たちも含め、ユーザーや視聴者、読者に出来るかぎりストレートに話しかけられ、作品を通した誰かを大切にしているということ。京都アニメーションでいえば、クリエイターたちが全力で熱を持って仕事に集中できる環境を支え続けている企業努力。業界全体のことを考えるとこれはハンパじゃ出来ない。もちろん、優秀なクリエイターたちが集まれば優秀な作品が出来上がる、でも、それはただの優秀な作品でしかない、と思う。

アニメーションという、もとをたどれば紙とえんぴつのみで表現できるものを「芸術作品」としてまで高められているのは、クリエイター達のたゆまぬ努力と涙の結晶だ。他の芸術分野としての違いは多々あるが、その中でも超絶クリエイティブ集団による動的作品であることを挙げたい。

毎週毎週お茶の間に(最近では深夜も)ポンポンと出てくるアニメというものは、とてもたくさんの人間が想像を絶する時間と労働力を捻出したものの結晶だ。有名な話かもしれないが、例えばジブリの場合、5分のシーンを作るのに100人以上の敏腕スタッフが2ヶ月かかってやっと、というレベルだ。(これに関して諸々の言及はあるのだが、キリがないので割愛。あくまで一例として)

そして分業化や、製作委員会化がより進んだ昨今の業界で、唯一月給制をとっているのが京都アニメーションでもある。(ジブリもそうだったが、計画倒産した。これについてもあれこれ言いたいがここでは自重)
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この月給制というのは、普通に働く社会人にとってはごく当たり前のことかもしれないが、これだけ発展した業界の中のたった一社であるということに価値と業界全体の大きな課題もある。

音楽家が「いい演奏をしたい」といつだって思っているのと同じように、クリエイターたちも「いつだっていい作品を作りたい」と基本的には思っているはず。が、実際は【3年以内の離職率が9割】【20代若手の月給が身を粉にして働いても平均9万円】であったりと、とにかく人財つぶしで育たず埋もれ行き、労働力をとにかく搾取される環境が一般的な現状だ。

参照 NPO法人アニメーター支援機構
http://animator.main.jp/

このような中でクリエイター本来の力を発揮していくのは相当な困難であり、ましてやそれが分業化や製作委員会化が進んだ中で協働していくことは、夢のような話だ。

京都アニメーションはそんな中で、社員の働く環境を必死に支えているといっても過言ではないだろう。そこには底知れない経営努力がうかがえる。

もとは腕のいい下請け会社として定評があったが、グロス請けなどもし、80~90年代にアニメ制作会社としてステップアップした。そのときに今の原点ともなる「京アニプロジェクト」が生まれた。
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コンセプトは「作り手が主体的に創る・安い価格でパッケージ商品を提供する・オリジナルであること」
つまり、ある覚悟をもったクリエイター達の原点回帰だと思う。牽引する八田さんは手塚さんの虫プロで仕上げをやってきた人。業界や仕事のことをよくわかった上でのことだと思うと、その熱意には感服する。(ジブリですらその起業に関して、宮崎駿は否定的であり、当初は作っては解散、のつもりでやっていた。その背景に徳間書店や鈴木敏夫の影があるのだが、自重)

クリエイター達が優秀であるのはもちろんだが、その才気を思いっきり伸ばそうとした決断と継続する行動力はすごい。余談だが、福利厚生で社宅も完備されているようだ。

作り手達を大切にしている例で京都アニメーションを挙げたが、ユーザーを大切にしているのはゲーム制作の株式会社ガストだ。(アトリエシリーズが有名)
http://www.gust.jp/

今年の10月から株式会社コーエーテクモホールディングスに吸収合併され(2011年から子会社だった)、ガスト長野開発部となった。

アトリエシリーズも確実にファンの心をつかみ、進化し続けている作品であるが、僕が惹かれたのはアルトネリコシリーズだ。ちなみにこの写真はシリーズ第1作のラスト前のシーン。
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10年前に一度プレイしたが、今でも鮮明に覚えているシーンのひとつ。
今年やり直したときに撮影した。

内容についてたくさん言及したいが、ここはファンやユーザーを大切にしている点で書こう。

アトリエシリーズで調合システムの開発やサウンドに関わっていた土屋暁がディレクターを務めているシリーズで、最初の作品、アルトネリコ〜世界の終わりで謳い続ける少女〜は2006年にPS2で発売された。

アルトネリコ 世界の終わりで詩い続ける少女 PlayStation 2 the Best

アルトネリコ 世界の終わりで詩い続ける少女 PlayStation 2 the Best

  • 出版社/メーカー: バンプレスト
  • メディア: Video Game


土屋さんもサイト内やファンブックで言及しているが、普通ゲーム作品の情報は、発売前から徐々に解禁され、直前で大盛り上がりし、発売後は静かになくなっていくものだ。しかし、アルトネリコは違った。発売前、基本情報以外はあまり公開されず、発売後、一部ユーザーたちから圧倒的な支持を得て、公式ファンサイトの運営が軌道に乗った。
http://ar-tonelico.jp/

ここからだった。

そのとてつもなく深い世界観とネタをもとに、「ファンと制作者達がつながり、一緒に作品を創っていく」というコンセプト(想い)を実現するべく、ゲーム制作という過酷な労働の中にも関わらず、毎週のたゆまぬファンサイト更新と、ファンの声を直接ゲームやサイト運営に反映させる愚直で真摯な態度で圧倒的な土屋ワールドを展開した。

ゲームの情報量はもちろんのこと、このファンが本当に喜ぶ形はなにか、ニーズを掘り起こすには、フラットにつながるためにいったいどうすればいいのか、迎合するわけでもなく、かといって受け流すわけでもない、毎週毎週の土屋さんを中心としたスタッフ陣の葛藤がにじみ出ていて、気のあるファンもまたそういう姿勢に心をうたれ、時に厳しく、時に励まし合いながらそのサイトは運営されていった。

思いっきりネタを展開し、カオスに落としておきながら、誰よりも真剣にファンの日頃の悩みにキャラが答えたり、イラスト等の作品は必ず掲載し、その一つひとつに丁寧にキャラで受け答えをする。

トウコウスフィア

Voice de トウコウスフィア~Ar tonelico Supporter’s Disc~

Voice de トウコウスフィア~Ar tonelico Supporter’s Disc~

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: SMD
  • 発売日: 2010/07/28
  • メディア: CD


http://ar-tonelico.jp/ap_contents02.htm

ネタや相談投稿が多いとき、その採用されない人たちへの優しいアドバイスや、説明責任をきっちりと果たし、ここぞのときには迎合でなくフォローをする。

ファンとともに作り上げる、それが一つの確かな形として生み出されたのが、アルトネリコ2だ。(他にもあげればたくさんある)

アルトネリコ2 世界に響く少女たちの創造詩

アルトネリコ2 世界に響く少女たちの創造詩

  • 出版社/メーカー: バンプレスト
  • メディア: Video Game


なぜこの続編がその結晶かというと、前作1での反省、ファンからの手厳しい意見やアドバイス、サイトを通したファンの想いが思いっきり凝縮されていたからだ。これほどの名作はない、と最初プレイしていたときに思っていたが、その背景をあとから知って、前作1と比較したときにそれが如実に成果として生み出されていたことに驚愕した。ここまでゲームへのファンの愛情や自己貢献感を得られるものはなかなかないだろう。

引き続いて3も発売し、2006年の第1作から2010年の第3作を通してなお、2013年までファンサイトは運営された。(今後の継続は未定、、)

アルトネリコ3 世界終焉の引鉄は少女の詩が弾く (特典なし)

アルトネリコ3 世界終焉の引鉄は少女の詩が弾く (特典なし)

  • 出版社/メーカー: バンプレスト
  • メディア: Video Game


その意志を引き継ぐ形で開始されたサージュコンチェルトシリーズ。



ここではゲーム・ファンサイトの垣根も取り除いた、史上初の類希なるシステムでゲーム展開&運営がされている。実はまだシェルノサージュをプレイしていないのだが、アルノサージュでは、いかにプレイヤー自身が一人称、つまり自分ごととしてゲームと対峙できるか、そもそもゲームではなく、まだ見ぬ世界へのアクセシビリティーの開発とも言っていた。

「本当に」ユーザーとともに進化・成長しつづけるゲームとその企業努力に今も尚打ちのめされ続けられる。


残りの3点はここまで書けば色々とイメージできるかもしれない。
疲れたのと長くとりとめもないので、以下はまた別の機会に書きたい。

・生まれでる作品のキャラクターや世界を本当に大切にしていること
・ひとつのことに対して全力でひたむきに熱をもって取り組んでいること
・小さくまとまらず社会に(少なくとも作品内の世界に)波及していっていること

ここまで一気に読んだ人はいるかはわかりませんが、稚拙な文のご拝読ありがとうございました。

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