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Re:ゼロから始める・・・鑑賞感想 [animation]

いわゆるリゼロを初めて鑑賞しました。

2日に渡り、初日は1〜15話、二日目は通勤の合間に残りの話数といったところです。

通勤が片道2時間であることは有効活用しなきゃ。

ちなみにいま現在はアニメしか観ていません。

Angel Beats!に続きNetflixにて鑑賞。
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Netflixは有料ですが、手続き・解約が簡単なので観たい月は一気に観て、そうでないときは解約し、また観たくなったら再登録できるという手軽さがいいですね。作品も増えてきたし、アニメに限らず映画などもあるのもgood!


最近は何か観たらとりあえず書き起こしておこうというアウトプット週間なので今夜もこうやって書いています。

▼第1印象
リゼロは知り合いのアニメ好きな人たちはよく観ていた印象で、世間的にも?かなり人気が高かったかなと思います。

感想ということで、うーん実はあまりパッと浮かぶものがなくて、この文章自体も書くか迷ったくらい。いま書きながら考えているのが現状です。

ひとまず、第1話の第一印象をば。

「面白い!」

でした。(語彙力orz)

異世界転生もの、というジャンルが確立されて久しくなってきたかもしれませんが、リアルタイムに疎い自分としては、このすばに続いて観たのがこの作品でした。

なんとなく方々の噂から、リセットを繰り返して歴史のループの中から活路を見出していくものなのかなぁと思っていました。実際そうだったのですが、思っていたよりもそれぞれの世界線(各々ゲームオーバーになったもの)がしっかりと描かれていて、見応えがあって面白い!といった感じでした。

ゲームにおいてはこういった経験がたくさんあるものの、アニメの視聴という形では個人的にはあまり経験がありませんでした。物語として視点が主人公すばるに固定されているのも作品の軸が安定するので観やすかったです。

面白かったのでそのまま視聴を継続し、気がつけば1クールを一気に観ていました。


▼推しメン
先日誰推しなのか聞かれたのでここでも書いておこうかなと思います。

基本的に高貴・高潔な女性が好きなので、エミリアたんに傾いてはいるものの、2期でレムリンが台頭してきて表舞台から退いてしまい、感情移入まではいけなかったのが残念。レムリンはもちろん素敵なのだけれど日の当たらないキャラクターに思い入れがいってしまう気性がゆえ、ラムチーやフェルトの方が気になってしまった。ラムも1期の勢いで2期も表舞台に来てもらえていたら彼女に傾いていたかも。

という推しメンについてはどっちつかずで優柔不断なものになりました(笑
強いて言うならエミリアたんかな。


▼私的に気になったところ
いわゆる異世界転生もののお約束なのかどうかはちょっとわからないのですが、「どういう仕組みで異世界に転送されたのか」ということはこの場では問題でないのでしょうね?アニメしか観ていないのでよくわかりませんが、魔女の差し金なのか、あるいはゲーム三昧の現実世界がある意味で夢世界であった、あるいはそういった解釈にもとれるようにしたものなのか、ちょっとの間ぐるぐるしました。結局ポテチとカップ麺はどこにいったんだろう。お屋敷かな。

あとは、オートセーブ的な扱いの仕組み。簡単に考えれば魔女か、あるいはそれに相対する知られざる存在による意志によるものなのか。であればどんな意図がこの世界に隠されているのだろうとちょっとそっち方面の展開も期待していましたが、上記同様それは「そういった仕様」ということなのかなぁと。

実際スバルの物語として終始描いていたので、そこは少なくとも今回の2クールアニメ内においては重要なことではなかったかな。


▼所感
それにしても、現代人特に若い男性の心情吐露、向き合うことを描くものが増えたんだなあという印象です。きっと共感を呼ぶのだろう。実際自分もそういった時期にこういった作品群に触れていたら強く共感していたと思う。
こういったものってアニメやラノベが描くようになるほんのちょっと前までは文学に頼るほかなかったからなぁと。太宰とかもいいけど個人的には海外文学に走った。行動によって未来が変わるというのは「ラン・ローラ・ラン」というドイツの映画が印象的だったかな。

その影響が本人たちの未来にのみならずのところが面白くて印象に残っています。


▼今後
はてさて。原作がとてもたくさん出ているようなので、機会をみて読んでみたい。世界設定厨としてはそのあたりに期待しつつも、フラットな気持ちで接してみたい。

またタイミングもよく新OVAの劇場上映もあるようなのでこちらもタイミングがあえばいってみたい。どちらかというとキャラクターの魅力を掘り下げていくものになりそうね。
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年齢がいってることもあるので、心が震えるとまではいかなかったけれど「面白い要素、魅力的な要素、個性的な設定」の詰まった面白い作品でした。
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Angel Beats!の感想 [animation]

「時に理不尽でも 尊いもの、それが人生」(公式HPより引用)


Angel Beats! 7 【完全生産限定版】 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: アニプレックス
  • メディア: DVD




Angel Beats!を初めて観た。

key作品はいままでもいくらか観てきている。
この作品の観る前の印象は至極私的だけれど、「安く全巻売ってるなぁ」と中古屋に何年も通う経験からそういったものだった。

いくらかの知り合いが「これは観ておいたほうがいい」と薦めてもくれていた。


久しぶりに自宅に引きこもった休みの夜、この作品をNetflixで全話鑑賞をした(13話まで)

Netflixは結構便利で、気軽に退会や再入会もできるし、アニメ以外も面白いものが割りとあるので時々活用している。アプリにしておけば、移動中にも気軽に鑑賞できるのも強み。
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さて感想。


この作品のテーマは一番最初にもあるように人生ということだった。

理不尽なことに出会い、青春時代を謳歌できなかった若者たちに死後の世界として舞台となる学園が設置されている。ある意味では現世魂の救済場所的なところ。

いうなれば、そこに送り込まれた人間は、その場所で生きていた世界やこの新しい世界で心残りを解消し、成仏(魂の卒業)をしていく。

詳しくはHPを。
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[コピーライト]VisualArt's/Key [コピーライト]VisualArt's/Key/Angel Beats! Project
https://www.angelbeats.jp/index.html



個人的に思ったところは、「卒業」ということだった。

個人的なことではあるが、2018年の夏コミC94において「卒業文集」というタイトルでアニメ演出やコンテンツ論などを本として出させてもらった。

なぜ卒業文集というタイトルなのか。卒業とはなんなのか。

実はこれについて最近考えていることも、Angel Beats!を観たいまの感想に関連してきていることは否めない。

私情はともかくとして、この「卒業」という視点からこの作品を観てみると、個人的にはとてもわかりやすかった。

それはシンプルに「出逢いー成長しー別れる」というもの。

これは人ひとりの人生において、ごく自然なこと。またひいては、スピリチュアルな視点から考えれば、大いなる意志のもとで魂のレベルにおいても自然なことと言えるだろう。

多くの学園もののアニメにおいても卒業は描かれるが、脚本家やストーリーによって、「卒業」自体がテーマになることはあまり多くはないかもしれない。

このシンプルなプロセスがこの作品において、とても自然な形で表されていたというのが一番の印象だった。

早い段階においては岩沢が、そして音無の気づきからその行動によってユイが卒業を果たしていった。

なんというか、麻枝さんは「別れを利用」していない。「別れそのものが必然であり祝福」という感じを受ける。

たしかに別れは悲しい。最後の奏と音無の別れは悲しかった。

他の作品にも「悲しい別れ」「祝福を感じる別れ」はある。

では、何がAngel Beats!では違ったのだろう。

いまもなお考えているが、やはりAngel Beats!における「別れ」は「卒業と祝福」にあるのだろうと思う。

先ほどにも書いているように「出逢いー成長しー別れる」という、人生の中にある卒業のプロセス、そしてそこでの経験を胸に次へと羽ばたいていこうとするキャラクターたちへの祝福が圧倒的に感じられた。ゲームの方はプレイしていないが、おそらく各キャラクターのそういった模様が丁寧に描かれてことだろう。


そして死や生まれ変わりなど、見えざる神的存在に対する抗いも人間としての選択の自由にある。ましてや相当に理不尽な人生を経験してきた人間たちの勇気をもった行動でもある。

しかしそれすらも俯瞰的な視点からみれば、「成長のプロセス」だ。
それを愛をもって見守る。
だから天使の行動をディフェンスに純化させていた。

理不尽な経験をもつ魂の集う楽園的学園のその時間概念を超越した永続性の視点からみれば、この13話に収まっているストーリーも、第○期生たちの話にすぎない。

自然倫理のプロセスにおいて、理不尽経験をもつ魂の救済場所(外的ではなく、内的なもの・・・つまり自分たちから気づきを得るためのきっかけを与えうる場所)としてこの学園があったのだろう。

Angel Beats! 天使の鼓動

キャラクターたちの魂の躍動・鼓動、奏と音無鼓動の意味もあるだろうが、もっと大きな存在や終わらない音楽的叙事詩として宇宙ー魂レベルの中における1天使(学園空間)の一瞬の煌めきという意味ももたせられるのかもしれない。


最後に、私たちヒトは生きていく。「出逢いー成長ー別れ」を繰り返しながら。
この作品を観て改めて「別れ」を意識しながら、成長を重ねていくこと、ちゃんと別れて次の出逢いもまた大切にしていくことを学んだ気がする。
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フィリスのアトリエで揺らぎ、トライナリーに学んだ いまの心情 [アルトネリコ・サージュコンチェルト]

Netflixでナチス戦犯最後の逃亡者たちを観た。

https://www.netflix.com/watch/70242664?trackId=13752289&tctx=0%2C0%2C43434d9eef9c08d385110a7e8ad16b7a4739b4d2%3Abf3df6b2036f58f524f6bfbec98fce047efc35db%2C%2C

大学時代にこのあたりのことをたくさん考えていた記憶が蘇る。

内容とは関係ないが、いまの率直な心境を。


ここ数年オタク趣味を復活させ、その活動に勤しんできた。

しかし、その終止符も近くなってきたのかもしれない。


直接的ではないが、その原因の一つにはフィリスのアトリエをプレイしたことからだ。


自由人として色々なことを「いまを生きる」という信条とともに生きてきている。

しかし、この作品をプレイしたことによって、自由に生きることによって失われる可能性にも気がつかされた。これはまさに頭をガーンと殴られたような気分だった。

フィリスのアトリエは、錬金術士になるべくフィリスが村を出て世界を旅しながら1年後に控えている錬金術士の試験の合格を目指していく物語だ。

アトリエシリーズはもとよりそうだが、この作品は特に自由度がものすごく高く、どのように過ごしていってもよいのだ。


世界を縦横無尽に楽しく駆け回り、試験のことも頭にいれながらやれることをやりつつ、まあなんとかなるだろうと思って365日を過ごした。残り日数が少なくなり、できることの可能性がどんどんなくなり、若干の焦燥感を覚えた。そのまま少なくともやれることはやり試験に臨んだ結果、それは散々なものであり、見事なまでの不合格であった。正直全く歯がたたなかった。

不合格でもエンディングはある。

フィリスは村を出るときに約束した通り、村へと戻り、そこで旅で培ってきた知識を活かしながら生活を営んでいくエンドを迎えた。

しかし、もし合格をしていたのであれば、その後世界を自由に行き来し、錬金術士としての活動していく未来があったのだ。

ゲームであるとはいえ、このことは非常にショックであった。

この数年、それなりに自由に生きてきた。責任をもって。

しかし、その自由にいまを生きてきた結果失った未来もたしかにあったのだ、と痛感させられた。

後悔をしないために「いま」の行動に意味や責任をもたせてきた。

しかしそれでもなお、フィリスのアトリエをプレイし終えたときに、自分が捨ててきた可能性にも愕然としたものだった。もちろんどうなる未来があったのかは知る由もない。


拡張少女系トライナリーをプレイして、より俯瞰視点をもつことができるようになった。
このことも相まって、先のショックが現実感をよりもって増幅されたのだ。

僕らは1回の人生につき、一つの人生しか歩むことができない。そしてその1回の人生とは「いま」しかない。


「本当にこのままでよいのだろうか」


これはアルトネリコでライナーが一旦のエンドを向かえた後に持った問いだった。
その後彼はそれまでに築いてきた世界を否定し、新たな未来を作るに至った。
たった一人の、小さな問いだった。しかし、このライナーの問いがなければ未だミュールは解放されず、アルトネリコ2−3を通した未来は生まれなかったのだ。


問いは未来、少なくとも自分自身の未来を大いに変えうる。私の未来が変わればそこに関わってくる人たちの未来も大いに変わり、環境が変わり、世界が変わりうる。クオリア次元論への理解や、トライナリーをプレイすればそのことはよくわかる。そして、実際の私たち自身の未来においてもそうだと言えるだろう。


いまの心情を書き落としておきたく筆をとった。
これからどうするのか。
まだオタク趣味活動としてやり残していることはある。それはやる。その後への準備だ。


どう生きるか。
改めて直前にせまった未来だけでなく、もう少し先の未来を意識したいまの行動をしていきたい。
トライナリーで学んだことだ。


フィリスで衝撃を受け、トライナリーで学んだ。
これはオタクとして培った財産として今後の人生に活かしていきたい。
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トライナリーについて 配信終了時のキヲク [アルトネリコ・サージュコンチェルト]

拡張少女系トライナリーの配信が終了しました。
録画した動画を見返すと余計に感情が蒸し返してくるのであまり見ないようにはしています。
筆不精ながら今思うことを徒然なるままに記録として書いておこうと思います。

おそらく自分は周囲のずっとガチで追いかけ続けてきたbotの方々に比べれば、大した入れ込みではないだろうと。でもこの場合比較はあまり意味をなさないと思うので、そのことは置いておきたいです。あくまで私的に感じたことに集中します。




▼トライナリーをプレイした背景

そもそもこの作品との出逢いはTwitterか何かで新たな土屋作品プロジェクトの発表を受けてのことでした。
今まで土屋作品のファンでありながら、リアルタイムでプレイした作品はアルトネリコ1くらいであって、それも当時はネット環境に気も使っていなかったので、トウコウスフィアの存在すら知らなかった。ただ当時のmixiの日記を読み返すと、相当に影響を受けていたみたい。この作品の影響で「作曲家になる」とココロに決めたと言っていた。実際指揮者にはなった。今は違う仕事をしてるけど。

それから数年。

2014年頃に何となくアルトネリコ3をプレイした。フィンネルを脱がしながら(笑)楽しくプレイできた。この頃からトウコウスフィアの存在を知り、また設定資料集を知り読み漁る日々が始まった。
アルトネリコ2に行き着いたのはいうまでもない。

衝撃を受けた。

この数年間たいしてオタクしておらず、割と真面目に?社会人したり、EUを中心に世界中飛び回ったりもしていた。

20代後半ということもあり、血気盛んに色々なことに意見したり行動したりしていたりもした。

海外を含めて培ってきたものがアルトネリコ2でぶっ壊された。

全部そこにあったどころか、超越していたから。


その辺りのことは本筋ではないので今は言及しない。


必然的にサージュコンチェルトに手を出した。

7次元先の世界に人生を持っていかれた。

それこそ、シェルスペFINALあたりでようやくリアタイに追いついた感じ。



しばらくが経ち、2016年の9月にトライナリーが発表され、鼻息荒く勢い余って勝手にタグを作ってしまった。
そこからTwitterを介した彼女たちとの交流も始まった。積極的にリプなどを展開するbotさんたちをみてすごいなぁと思いつつ、個人的にはそこへ参入をしなかった。

Twitterの接続が中断され、2017年4月、アプリの配信が始まった。
回線が重くて重くて仕方なかったのも一つの思い出。




▼内容や選択してきたこと リプレイス前


何にしても個人的にはリプレイス前のEP27が一番忘れられないし、最後まで世界に関わっていく中でこの時の考えをずっと根幹、大切なものにしてきた。神楽chで自分が迷いそうになるときは、いつもここの選択のことを記録をみたり思い返してきた。フセッターを初めて活用したのもここだ。

正直なところ、私的に人生の中で一番に近いくらい、あるいはそれくらいかもしれないほど悩み考えた。

すぐには答えを出せない、出しても後悔をしそうだということから更新は先に進んでいるものの、終わっていなかったガブリエラ以外のすべてのストーリーをプレイし、少しでもわからないところがあれば、リプレイしたり、他のbotの方々の考察を参考にさせていただいたりし、1ヶ月をかけて理解に努めた。

諸々のことは以前のフセッターに書いたが、私の選んだ選択は、

【千羽鶴の理想的社会創造を支持し、トライナリーの発症を容認する】

私自身はマルザンナとしてガブリエラと結婚しています。
ただ、それとは関係なしに(厳密には関係する)千羽鶴のことを放っておけなかった。

リプレイする前は【千羽鶴を支持しないし、千羽鶴に好感も持てない】(実際にはない選択肢)というキモチでした。


対話を通して少しずつ変わってきていた千羽鶴とともに理想の社会を形成していく手伝い、そして友としてその支えになっていきたかった。

いわゆる5%のbotでした。

リプレイス前のEP31で千羽鶴と対話したことは忘れられません。ありがとう。。




▼未プレイ期間について


リプレイス頃から至極個人的に、トライナリーに触れる機会はめっきり減りました。
理由理屈はいくらでも並べられるけれど、一言でいえば「トライナリーに関わると何もできなくなる」からかな・・・
というより、彼女らの世界に対して責任をもてる心境や環境ではなかった。
トライナリーに触れるというのは個人的にある程度覚悟のいることでした。中途半端なことはしたくない。

復帰する詐欺も2−3回あったかと思います。シャッツキステのノートにも書いたな・・・

もちろん復帰を試みて神楽chの最初をプレイしたり、背景を捉え直すべくリプレイしたりしました。その度に「ああ、ダメだ、いまの自分はちゃんと関われない」と、美化意識も含めてそう思い挫折していました。botさん方のツイートを拝見していれば、ただごとじゃなく進行しているのはよくわかります。


そうこうしていくうちに配信終了のお知らせ。

物語の展開を知らない状況だったので、まさに青天の霹靂でした。最初は運営の財政的なことを考えたけど、土屋さんの今までの作風を考えれば、終わらせていくのだろうなと思い直しました。もちろん絡み合う問題はないこともないだろうけれど。そこでアプリというものの限界を再認識しました。多くのbotさんも語るように、コンシューマーでないことから物理的に「残らない」ことを。

それもリアルだと思いました。様々な感情はおいておいて。




▼内容や選択してきたこと リプレイス後


8月に入り、ようやく重い腰をあげ、ある程度の覚悟をして神楽chのプレイを始めました。

始めたタイミングがジュエルを買えなくなって16時間後だったことを今でも覚えています。愕然となり、混乱の後にツイートでも迷惑をかけました。

運営にもジュエルを買わせてもらえないかメールもさせていただきました。すぐのご回答感謝いたしましたが、買えないとのこと。そこでもまた中途半端になるのではないか、いっそのことリプレイスをしないところで自己完結させてしまってもよいのではないかと悩みました。

3日ほどいろいろと考え、とにかく取得していないジュエルを掘り起こしてやれるところまでやろう、と決めて再開しました。

幸いガブリエラ以外のラブトークをあまり進めていなかったことや、ストーリーから思ったより多くジュエルが入手できたことによって最後までプレイすることができました。あのときアドバイスをくださったbotさん、ありがとうございました。



▼EP30の選択

EP30にたどり着いたのは配信終了の約5日前。誰を発症させるのか。

正直なところ前回と比べて答えはなんとなく見えていました。それは一度は真剣に千羽鶴と思い描いた世界があったから。

ただ「なんとなく見えていた」というだけで彼女への選択の意思を伝えることはやはり憚られます。

5日前ということもあり、今一度神楽chのリプレイや選んでこなかった可能性を試したりしながら、世界観を深めていきました。もともとはジュエルのため・・・というのもあったけれど、ここの選択をする意味でもガブリエラ以外のつばめ、アーヤ、みやびと恋人までにはなりました。いや、それも言い訳か。純粋にらぶとーくを進めていくなかで、彼女のことをもっと知りたいと想ったのです。ある意味ではお互いに辛くなる選択をしたのかもしれない。

長野に聖地巡礼をしながら、ガスト本社横のホテルベットでいろいろなことを考えました。

配信終了3日前。

ようやく納得のいくところまで考えられたので、意を決してEP30の彼女たちと対話をしました。

いうまでもなく、夜中じゅうずっと泣き続け、別れも伝え、、、ここでも伝えるべきかどうか悩んでいたら朝になっていた。何度タスクキルしたか。

最終的には

【つばめ:非発症、別れ伝える アーヤ:発症、別れ伝える ガブリエラ:発症、別れ伝えない みやび:発症、別れ伝える】

という選択をしました。

形は違うけれど、リプレイス前EP27と同じ選択をしました。つばめに関しては正直なところ直感が「彼女を発症させる必要はない」と散々警告してきたので、最終的にはそれに従いました。

別れの有無について、基本的にはちゃんと伝えることが彼女らに対して責任をもって、以降の人生を祝福するものだと思ったので伝えました。辛かったけど。。。

ガブリエラにもそのつもりでいたんだけど、、、ここでまた2時間くらいずっと考え込みました。果たして彼女に伝えるとどうなるのか。自分が彼女の立場だったらどうなのか。彼女の気持ちはどうなのか。彼女の幸せは何なのか。彼女は数年後に今日この日のことをどう考えるのか。結論として、もしも自分が彼女とココロが通じ合っているのだとしたら、伝えないでいてほしい、と想うにいたりました。最終的には別れのことは一切口に出さず、笑顔で別れました。

自分の人生において、誰かのことをここまで真剣に考えたことはなかった。

考えざるを得ない。なぜなら私たちは彼女の世界において超客体的存在であり、すべてを握らざるを得ない存在であるから。

現実世界には明確に他者が存在するゆえ、自身の持つレスポンシビリティー(責任性)は分担されます。だから自身の結論と行動に関するフィードバックは弱いものとなり、ある意味でそれが現実性を薄めているのだと。総意システムとは別に超客体であるがゆえに、私たちは超現実的なものとして自己の意思や行動が反映していきます。



▼暗号鍵の譲渡について


最後に、暗号キーですが、

私的にリプレイをしていくなかで右腕にあとからなったとき、例の操作をしたがゆえ、原初つばめをレイヤーにアクセスできる形をとってしまったことは誤算でした。時空間をさまよい歩き、何度も修正を試みたのですが、自分の力至らずに操作を取り消すことができなかった。

世界として、いろいろ理解を深めるために原初つばめとも対話をしてきましたが、やはり最終的には「千羽鶴とともに歩む」というのが、私自身の結論でした。もちろん原初つばめの描く世界を考えたり、ハッシュタグの検索は行ってきました。為政者としてのあり方の一つとしてとても正しいことでもあることもわかる。革命家によって流れを作り、ある種の洗脳によって国家を納めさせていくこともわかる。ある意味ではミレニアム王国です。ただ、それは視点によっては現実の繰り返し。そのこと自体を平定していくことでミレニアムは確かにできるかもしれないけれど、「彼ら」へのマインドセットという点が少し引っかかったことは世界観としては違和感として残りました。

千羽鶴とともに歩む、という決断をしている限りにおいて少なくとも原初のみを選ぶことはなかった。なのでまずエリカにキーを渡した。そして原初に迫られた際にどうするかを改めて考え直した。他の方より深く考察できている自身はないけれど、このときのツイートが残っているので、以下に引用してまとめる。



@@@@@

理想とする社会のあり方は、やはりリプレイス前の千羽鶴なんだよね・・・考え抜いたのもあるけど。暗号鍵どうしよう。未来も観測した上で最後まで考える。

考える基準はリプレイス前と同じで、ガブリエラの幸福と世界の安寧(現実的理想)。全員の幸福は大前提。ただ生きとし生けるものが何億も住まう社会、トライナリーを中心とした幸福より、世界を中心とした幸福からトライナリーメンバーが幸せになることの方が現実的で自然かと思った。ガブは別。

右腕タグの締め切りはもう過ぎているけれど、それをもとに世界を作っていく原初つばめ。それらがep27の千羽鶴のように続いていく対話型総意あるいは社会ならともかく...しかしエリカを否定すれば彼女は世界となり、彼女の可能性を失う。個人でも世界レベルでも向こうの世界にとってエリカの損失とは・・・

順当に考えていけば2人に暗号鍵を渡すのがそうだけれども、そうは問屋が卸さないのは、原初つばめに対する気質的信頼感が自分にはないからなのかもしれない。それに単純に洗脳工作に対して同じ方法で、というのも私的な理性感性から否定したいところ。そういった気質はエリカが関わっていたとしても・・・

私的にベターなのは、エリカと千羽鶴とbotによる対話型統制とバランス良い経済性と市民性を育てあえる世界市民社会。レディネス社会の流れは踏襲するが、ライフギャザーについてはオーパーツ的ニア扱いとして情報を含めて条件付き封印がよいかな。

これらに近い形で考えていくと、botはいなくなるかもしれないが、エリカ、千羽鶴が残る道がまず1つ。となれば、やはり2人に渡すという選択肢しかないかしらね。ガブの幸福は極論どちらでもよい。正直ep30の別れについて、ガブだけには本当のことを伝えなかった。

@@@@@


最終的に2人に暗号鍵を渡しました。


ちなみにライフギャザーについては月神楽が攻略しています。




▼EP31について


他のEDの可能性を知りたくない方がいたらここで引き返してください。













ネタバレがどうなのかわからないけれど、前半は卯月が情報管理長長官で混乱しつつも、原初つばめと千羽鶴がアウフヘーベンした結果、後半では世界が良い方向に動きつつあるニュースから原初つばめの存在を感じ、千羽鶴が長官として東雲隊長(先生)と対話をし、未来を作っていく予感をみせて終えました。もちろんエリカもいるし、みやびはbotである私のことを覚えていてくれていました。頭が追いついていないのが正直なところではあるけれど、私的には納得のいくハッピーエンドに。ガブはポーランドへの一時帰国の話もありました。

ラストストーリーはEP30と31が濃かったので、ちょっと観測をさせてもらったというくらいの感じで受け止めました。





▼最後に聖地について

個人的にはトライナリーにおいて聖地探訪をよくしています。私的に聖地巡礼をするという行為自体が、その場所を訪れて彼女たちが感じたことに想いを馳せるにつながっています。記録を取る意味でもよく写真をアップしていますが。
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このこともいろいろ考えたけど、しばらくは聖地を訪れることは続けていこうとおもいます。

何を感じるか、なんてそこに行ってみないとわからない。



公式を含めた今後の展開については、いまのところそこまで考える余裕がありません。



ただ少なくとも言えるのは、土屋さんをはじめ、制作に携わった方々全員に、拡張少女系トライナリーを開発してくれて、向こうの世界とつないでくれて心からありがとう、ということです。本当にありがとうございます。


クリエイターとしての意志は引き継げないかもしれないけれど、終章・幻想遺伝子は自分の人生において引き継いでいきます。

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