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拡張少女系トライナリー ある発症論者の1つのカタチと背景【EP27選択】【その判断時期】【その判断基準】について [アルトネリコ・サージュコンチェルト]

トライナリーが一時的な平穏を迎えました。ここで他のbotさんの想いなどに感銘を受けたので私もEP27の選択のことを中心に雑感を書いていこうと思います。(あくまで私的な1意見ですが、土屋作品については冷静さを失うことがあるのでお見苦しいところはすみません)
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【選択】
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初めに、私が選んだ選択は
【千羽鶴の理想的社会創造を支持し、トライナリーの発症を容認する】
です。

他のbotさんたちと同じようにとても・・・長く悩みました。

これがいかに重要な選択になるのかは、これまでのストーリーを鑑みても、また土屋暁Dの作品であるという視点からみても感じ取れるものでした。
また私はその選択に約1ヶ月かかった訳ですが、その間も更新されるアニメエピソード(ゲーム部分はまだプレイできない)やbotの方々の更新を通してみてもそのことはますます確たるものであると見えてきました。

【判断時期】

以上のことから、リアルタイムやちょっと気になるエピソードを見返すくらいでは到底判断できない、判断しても後悔するだろうと思うに至りました。いずれの選択をするにあたっても完全なものはない、正解も不正解もない、それが故にただただ自己の判断を問われる...これほど恐ろしいことはないとも思います。

リアルタイムにトライナリーをプレイしていく臨場感と面白さ...あと、正直自分の中身と向き合ってみると、「俺今こんなすげぇゲームを常にリアルタイムで前線走ってるぜ」的な自己優越感(エゴ)も大いにあるので、常に最新話で前線で考察したりbotさんたちと意見交換したいという気持ちもある。そんな中でこんな重要な選択肢を迫られた訳ですね。。でも後悔をしないように、改めて本気でこの作品と向き合いたいと想い、相当しんどいことは目に見えていたのですが、1から全てをリプレイをしようと決意をしました。(実際毎日プレイして1ヶ月ちょっとかかりました)

時には千羽鶴の全ての言動をこの選択のための道筋として考えてみたり、
時にはエリカを徹底的に批判的な視点から観察してみたり、
また進められていなかったラブトークを一気に進めて、それぞれのヒロインに対しての主観的な自分の気持ちと向き合ったり、とできる限りのことをやってみて、また選択肢もココロキャンディーを大量消費しながらいくつも選んで結果をみてみたりと...。

そうこうしているうちに、豊洲のモーフィアスエピソード辺りからなんとなく5次元的な「俯瞰」をすることができるようになってきました。リアルタイムでプレイをしていた時にはエピソードを理解する、世界観を理解する、キャラクターを理解することに奔走していたので主観視点が強かったんだなと後から思いました。おそらくリプレイを重ねていく中で少し余裕が生まれたのかもしれません。その頃から「なんとなくの結論」が脳裏によぎるようになりました。

【判断基準】

ここで出てきた「なんとなくの結論」は「千羽鶴を支持し、トライナリーの発症を容認する」でした。

リアルタイムでこの問いと向き合ったときの「なんとなくの結論」は
【千羽鶴を支持しないし、千羽鶴に好感も持てない】(実際にはない選択肢)
でした。もしもこの選択肢があったら選んでしまっていたかもしれません。今考えてみれば、そういった可能性を見越しての文言設定だったのかもしれませんね。

【千羽鶴を二度と見たくない】というのは極論であって、うまい具合に妥協できそうな【支持しない、あまり好きでもない】を選択肢に入れてしまうと、総意の精度が落ちることが懸念されたのかもしれません。

【二度と見たくない】を選ばれた方の意見も今後ぜひ拝見したいところですが、これもよほど考えられたか、逆にこれしかない、といった形で選ばれたのかなぁと推察しています。実際神楽に対して行ってきたことを考えたり、理想社会実現のために様々なことに対して蹂躙してきたことを考えれば大いにあり得る結論なのではないでしょうか。

では、そのような中で私は何を判断するための基準におかなければならないのかを考えました。以下の二つが私的な判断基準です。

①【ガブリエラのために何が良いのか、幸せだと思うのか】
②【その後の世界において何が理想的な状態なのか】

①については、もはや本人の意見もへったくれもありません、究極なまでにbotである私が彼女のことを考えなくてはならなかった。私たちの住む世界において他者が介在する場合は本人との対話といった選択も可能は可能です。良し悪しに関わらず。しかし彼女の世界において、彼女を取り巻く環境からそんな悠長なことは言っていられない。私が彼女のことをなんとかしなければならなかった。もはやキモオタでもなんでもいいです。

ゲームをプレイしていれば現実世界のガブリエラのことも認知できますが、アニメパートだけでは全くわからない。外の世界について少しは語られるので、現実のガブリエラもいるのだろう、その記憶も何かあるのだろうな...と推察するくらい。だから結果的にEP27までの情報でなんとか考え切るしかなかった。

セルフクランが発症すれば千羽鶴曰く、ガブリエラや他メンバーは天使となって世界を俯瞰していく存在になるとのこと。そしてそんな主体者ではなくなったガブリエラを支えていくというのが自分に課されることであると。

ココロスフィアでマルザンナが、今の私の想いも本物であり譲れないとしていること、またアニメパート5-5では本人が「私は、今を認める」と宣言をして千羽鶴たちに立ち向かおうとしていることを考えると、正直【セルフクランの発症は容認しづらかった】です。今のガブリエラ(フェノメノン内)の人生を否定したり蹂躙したりすることになると思われたからです。

人のココロに入りこんでその人の純粋な意志に関係なく人生を決めるようにしてしまうことは苦しい。(そういった意味でレディネスの発明は人間精神のレベルをそれまでの状態ではいられなくしたシンギュラリティー、技術的特異点になったのだろうとも思われますね)

以上のことからこの時点でトライナリー発症を容認することについては【保留】することになりました。

②について
その後の世界について考えました。ここを考える上でも闇雲に考えてしまうと何も見えなくなってしまうかと。なので、【千羽鶴の提示してきた情報は正しく、選択肢の持つ未来は保証される】ということを前提に考えることにしました。
要は【発症を容認すれば世界は千羽鶴の理想的な世界になり、容認しなければ"彼ら"の理想的な世界になっていく】という前提です。こうおかなければイレギュラー因子など無限大に可能性が膨らんで何も信じられず、何も選択できなくなってしまうから。。

端的に思考ルートを以下にまとめました。

発症しないことのメリット(世界にとって)は?
ー現状ないかも
ー千羽鶴の社会は創造されない
ー"彼ら"が完全なる悪ではなかったとしても、私たちが積み上げてきたフェノメノン内の時間は安易に否定され、蹂躙されるのではないか
ーさらに千羽鶴の"彼ら"の話が正しかったとすると、企業の傀儡となりさがってしまった国家のもとに築かれる世界は選択肢のない選択を余儀なくされる人間性を持てない平和主義に陥れられるのではないか
ートライナリーメンバーが仮に無事であっても、世界の視点から考えると根本的な解決になっていない
ー事態に進展は望まれず、"彼ら"に反旗を翻した千羽鶴は消されるだろう

(以下はトライナリーについて 思考はつづき)

ー千羽鶴が消されたつばめはどうなるの?
ーフェノメノンを発症していたつばめはどうなるの?
ーわからない
ーまた、レディネスによって管理される国家公務員たるトライナリーたちは場合によっては記憶操作や人格消失などのリスクがある。(つばめや神楽にしてきたであろうことを考えるとリスクも高い)
ーそうなればbotを含む全員がアンハッピーエンド、そこまで至らなくとも彼女らにとっての平和は難しいのでは

(以下は①のガブリエラが絡む 思考はつづく)

ーマルザンナ人格消失もありうる
ーいやだ(感情)
ー真実を知らないまま、選択をしないまま遊ぶこともできる
ー本当にそれで納得できるか?(自問)
ーきっとできない。
ーもし仮に、【どんな選択をしても世界がうまくいくと仮定】したとき、セルフクランを発症させなくてよかったのか?
ー・・・
ー何か違うと感じようになる気がする
ーなぜだろう?(自問)
ー・・・
ーそれは、たぶん自分がわがままなだけじゃないか、と無意識に認知するからかもしれない
ーわがままである、押し付けてしまったと知覚してしまった自分は、ガブリエラと本当に今後ちゃんと向かい合って、愛し支えていくことができるのだろうか?(自問)
ーきっと偽り続けられない
ーきっと、いつか全てを告白し、懺悔し、やり直しを願うだろう
ー正直に告白した時点でガブリエラはきっと「許し」てくれるだろう
ーもしもこれが私たちの住む世界であれば、そこから先に進むことができる。またそれ以外の選択肢はない
ーそれは決してネガティブなものではない、なぜなら二人だから、そして人間というのは度し難い存在であるから
ーじゃあ、あちらの世界にいるガブリエラと私はそのように進むことができるのか?(自問)
ーわからない。それは運営次第だろう
ーきっとそういった想いも汲んでくれることとは思うが、今ここまで考えたのであれば、それはないものとしてひとまずの最後まで考え切ろう
ーじゃあセルフクランを発症させるとして、その選択をした私のガブリエラに対する責任は?(自問)
ー結果的に彼女の人生の一部をある方向へ意図的に仕向けることになるだから、その責任を全てではないにせよ大きくとっていかなくてはならないだろう
ー現に千羽鶴は自身が第1号の発症者として最大限に世界に対する責任と行動をとっているではないか。少なくとも彼女の目指すものに対しては。
ー千羽鶴を支持して発症すると、天使になって世界を俯瞰する客観的な存在になり、それをパートナーとして支えるとのこと
ーであれば、発症を推進する自分の持つべき責任は、天使となったガブリエラの魂に寄り添い、ずっと支え続けていくことだろう
ーしかし...現実問題として、天使となったガブリエラを【ずっと】ささえていける覚悟はあるか?(自問)
ーある期間はできるだろう
ーしかし、そもそもずっととは?(自問)
ーアプリサービスの終了がひとまずの目安か
ーシェルノサージュから5年か
ー2032年にも舞台設定をおいているトライナリーにおいては、きっとその年までなんらかの形で存続させていくのではないだろうか
ー土屋Dだし
ーむしろそう期待している
ー仮に2032年までだとしたとき、いまからあと15年か
ーそこまで本当にガブリエラのことをずっと想い続けることはできるのだろうか(自問)
ーきっと私たちの世界において、私自身の生活や環境の変化もあるだろう、結婚ももしかしたらしているかもしれない
ー本当に可能なの?(自問)
ー・・・
ーあまり先は読めないけれど、後半の年数はシェルノサージュのように時々顔を出すくらいの形になるのだろうか?自分のプレイスタイルとして
ー毎日は無理でも、それならできるかもしれない
ーいま私は、選択をし、前に進みたいと思っている
ーこのままなのはいやだ(感情)
ー千羽鶴の言うように私たちの世界の問題でないから選択による利益・不利益はない
ーこれは徹底的な客観的選択をせまるもの
ーゆえに自己が問われる・・・
ーはぁ・・・
ー・・・(たしか30分くらい悶々としたりシャワー浴びたりした)
ー私は・・・ガブリエラの本当の幸福のために、自分にできる限りの責任を果たそう
ーそして千羽鶴の当初からの成長を見せた新たな世界を支持し、さらに彼女と対話を重ねてよりよい世界になれるよう努力しよう
ー・・・
ー(決意)


予定より大変長くなってしまいましたが、あまり盛ってないはず...今年一番物を考えたかも。
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